君の名は。

ようやく見て来た。未だに満席売り切れとかフツーにあるし、なんかすごい勢いだなあ。
とりあえず封切りからほぼ2ヶ月経ってるし、リピーター続出だっていうんで、ネタバレ全開ですんでヨロシク。


アニメで写真のような綺麗な背景描写は、実写以上に鮮烈な印象を与える。ジブリ出身の作画監督と組んだことで、新海誠の詩情がよりわかりやすく表現されていた。今風な可愛いキャラデザインも相まって、随分親しみやすい作品になっていた。個人的には、瀧君バージョンの三葉が、えらく可愛かった。
もともと「すれ違い」とSFは相性がいい。そこに「男女入れ替わり」を加えて組み上げた仕掛けが、魅力的なプロットを生んだ。ただやっぱり新海誠作家性は切ない系なんだと思う。ラブコメや熱血サスペンスは、借り物のようだった。何処かで見たような「ありもの」のシチュエーションを組み合わせていくこと自体は、アレンジや演出の妙の見せ所でもある訳で、必ずしも難ずべきことではない。ただ、よくあるシチュエーションであれば観客側でも先の予測が立つからといって、間の段取りをトバしていいということにはならないだろう。キャラの心情が動いてドラマになるんじゃなくて、ドラマに合わせた心情がツギハギされてるような感じだった。それともこれからは、「わかりきった段取り見せられるのメンドいから、テンプレの枠だけあれば十分」みたいな受け手が増えてくのかなあ。少なくとも私は、丁寧な描写を積み上げていく方が好きだ。


とりあえずは小ネタから書いとく。
しかし瀧君、やたら絵が上手いね。アニメの設定資料みたいなスケッチをいっぱい描いてたのはすごい。美術の授業かなんかのシーンで、糸守湖の同じ絵を描いてるカットがあったのは伏線なんだろうけど、記憶だけであれだけ全部描けちゃうのはやっぱすごくね?でも何で橋とか描いて三葉は描かないんだ?
あと、象徴的に何度も繰り返された扉の開閉カット、他でも印象的に使われてた作品があった気がしたんだけど、何だっけ? 確かテレビ版エヴァには似たカットあったと思ったけど、他でも見たような。気のせいかな、気になる。
さらにもっとどうでもいいネタだけど、隕石が雲を突き破って落ちてくるとき、映画ではまず雲が下に突き出して、そこから雲を振り払うように隕石が落ちていくというカットが2回あったけど、実際の場合もああいう風になるんだろうか。隕石が超音速で落ちて来たら、雲は断熱圧縮されて蒸発するのでは?押されて下に膨らんだりはしないと思う。勿論間違ってたって構いはしないんだけど、でもSFってそういうとこにこだわるものだとも思う。
とは言っても、夏の夜空を彩る流星のシーンは美しい。地に破壊と死をもたらす「災厄」そのものであるが故になお一層絶望的なまでに美しい。壮大な運命に導かれたすれ違いの切なさは、新海誠の真骨頂とも思う。

こっからはもうどんどんネタバレしちゃうけど、さすがにこれ、ちょっと詰め込み過ぎじゃないの。
この作品の仕掛けは何重にもなってて、まず「見知らぬ男女がなぜか入れ替わりを繰り返す」というネタで、これだけでコメディ1本できるネタだけど、この入れ替わりをそれぞれが受け入れていく過程をかなりダイジェストで流してく。このくだりはもう少し丁寧に描いて欲しかった。基本がロマンチックな運命の恋人同士の話なわけだし、その恋におちていく過程を丁寧に描かないでどうするよ。象徴的なやり取りのカットバックで畳み掛けてくテンポはいいんだけど、それで「ラブコメの良くあるやり取りがあって、反発しつつもいつしか」みたいなエピソードがあるんだなと観客に了解させてく流れに、まず違和感があった。そもそも「出会って」さえいないのに、ある意味ではいきなり深く知り合ってしまうという特殊な関係で、手探りのコミュニケーションをとっていく過程の、近づいたり反発したりと言った二人の心情をドラマとして見せてないから、瀧と三葉と、入れ替わった瀧(三葉)と三葉(瀧)の4キャラクターが入り混じって混乱してしまう。
そもそも三葉の周囲の描写に比べると、瀧自身や周囲の人間の描写は薄かった。瀧の母親が出てこなくて、多分三葉同様片親で、きっとそこに意味があるんだと思うけど、さすがにこれだけでなんか分かれってのは無理じゃね。バイト先の奥寺先輩も、何考えてるのかよく分からない。何で「夢の風景」探しに三人で行ったんだろう。奥寺先輩は瀧に「前は私のこと少し好きだったけど、今は他に好きな人がいるでしょ」というキーになるセリフを言うんだけど、話の都合上必要なセリフを言わせるために作られたキャラ、という感じがどうしてもしてしまう。

話の順番では、次に「実は三葉は三年前に死んでた」というタイムリープネタが来る。今までの新海誠アニメだったら、これがクライマックスになってたと思うけど、こっから次の「三葉を救う」歴史改変ネタに突入する。形の変わった糸守湖の全景が現れる衝撃的なカットから、口噛み酒を呑む宮水の隠し本尊の巨岩のシーンまで、話は急展開して、ただ圧倒される。ここで作品内ではほのめかされるだけの、大量の設定が投入される。そこはドラマと映像のダイナミズムで圧倒されてしまうので、いちいち説明する必要はない。とは言っても、宮水神社の縁起とかはともかく、宮水家の過去とか、特に神職から政治家に転身した父親の事情とか、話の根幹に関わってくる設定なのに1カットで示唆するだけというのはやっぱり物足りない。まあこれだけ高評価がついてるんだから、観客は納得したのかもしれない。でも、話の説得力というのは、観客に対してだけでなく、作中のキャラに対しても関わってくる。三葉は、父親を、テッシーを、話の上で説得しなきゃならない。テッシーは何で三葉の計画に乗っかって、変電所を爆破したのか。だって、爆破だよ?友達の旅行に勝手についてくとかとは次元が違うでしょう。三葉の話に、それだけの説得力があったとは思えない。まあ結果オーライで、おかげでみんな助かったからいいんだけど、その始末はどうなったの?変電所爆破とか、災害放送の乗っ取りとか、不問になった?三葉は「災害予知」して村民を救ったわけだから、大ニュースになったりしなかったの?偶然の避難訓練で助かったような記事が映ってたので、なんか宮水家と勅使河原家の話し合いがあったのかもしれないけど、特に説明はない。この辺、想像の余地を残したというより、よくあるパターンに沿って観客が理解することを期待して投げたような気がする。SFの大ネタをこれでもかと突っ込んで、辻褄合わせは丸投げってどうなんだろ。最後のハッピーエンドに向けて雰囲気で押し切ったという感じだった。

本作に対する批評で、「辻褄が合ってない」という批判はいくつか読んだけど、これってそもそも辻褄を合わせようとしてないのでは。辻褄合わせようとすれば合うんだけど、そのためには込み入った説明が必要になって、わかりにくくなるし、しかもそれは運命のラブストーリーという本筋とは関係ない。まさか最後のクライマックス直前で父親の回想とか延々と挟めないし。だったら無理に合わせなくても押し切っちゃえ、ということなのでは。でも、それはやっぱり、詰め込み過ぎってことなんだと思う。尺が無いから空気読めってか?ドラマツルギー舐めんな!