この世界の片隅に

ようやく見てきました。いい映画です。前半の、戦時下の日常系コメディ、と言っていいのかな、生き生きした生活描写があって、そのまま大量の死が降りかかってくる後半に突入します。笑えて泣ける、というと人情ものみたいですけど、戦争映画です。コミカルな演出はあっても、泣かせようという演出はありません。そんなあざとさは必要ないです。戦争映画ですが、兵隊さんはほとんど出てきません。少なくとも戦ってる兵士のシーンはありません。ただ爆弾が落ちてくるばかり、溝に隠れて機銃掃射に耐えるばかりです。焼夷弾を必死で消火するシーンが戦闘シーンになるくらいです。勿論、空襲は非日常です。呉が焼け野原になって、広島が新型爆弾で壊滅して、大勢が亡くなって、大勢が焼け出されて、誰もが身内や知り合いを亡くし、誰もが誰かを探し歩いてる。それは非日常の世界です。でも、それは日常の世界と地続きなんです。すずが、周作が、確かにそこに生きているキャラクターの皆んなの時間が連続しているからです。細かい日常生活のディティールが、それを実感させてくれます。少女時代から始まって、いきなり嫁入りして、という展開は有吉佐和子の女一代記ものを連想させます。「紀ノ川」とか「鬼怒川」とかみたいなの。女性映画でもあるんですね。

こうの史代の絵をそのまま動かしていて、丸っこい柔らかな絵なんだけど、細かい情報を落とさずキチンと拾ってます。ジブリっぽいけどジブリとは違うなあと思って見てたけど、監督の片渕須直って「アリーテ姫」の人じゃないですか。なんかすごく納得してしまいました。ずっと宮崎駿の下についてて、魔女宅の演出補もやった人ですよね。この「この世界の片隅に」では、日本のアニメの、動きのメリハリでカッコよさを出す手法とは違う、「3コマ撮りのフルアニメーション」を目指したとパンフに書いてありました。わかりにくいので少し引用します。

今までなら「ここは中ナシで動かしてるな」ってところに執拗に中割りを入れるようなことを繰り返していって。(中略)
多くの日本のアニメーションは、ちょっと動いたら8コマ止めるとか12コマ止めるとかして、実質的に中3枚とか2枚とか、秒間8枚よりも少ない割幅でバキバキっとした動きを表現していくのが普通になってる。そういう部分をしっかり中7枚くらいで描いて、ようは3コマ撮りのフルアニメーションをやろうという話です。

それが日常的な所作のリアリティにつながってるということだそうです。まあ中割りの入れ方とは関係ないかもしれませんが、モブの歩き方とかも、ゆっくりなんですよね。そういうとこも、生活芝居のリアリティへのこだわりの表れかなと思いました。現代の都会のスピードとは絶対違いますもん。日常描写にこだわり抜く片渕監督だからこそ作れたアニメです。そこまでこだわったからこそ、登場人物がお話の中で役割を振り当てられたキャラクターに留まらない、実在する人間のような説得力を持ったのでしょう。日常の世界に非日常的な戦争の現実が割り込んできたり、あるいは現実の世界と空想の世界が混じり合っても、それが絵空事にもお話の中の出来事にも見えない、むしろそこに人間が生きていて、見方次第でいくらでも意味が変わるという「豊かな」世界が広がっているということそのものを、説明するのではなくて丸ごと感じさせてしまうことができたのでしょう。だから、型どおりのメッセージをやりとりして感想が書けるような映画じゃないんですね。むしろ一つの見方を強要するような思想の貧しさをバラしてしまう類いの映画です。

あまり似た作品を思いつかないけど、当時の世相を伝えてるという意味では、アニメじゃなくて長谷川町子の原作の方のサザエさんの雰囲気と通じるものがあるように感じます。

片渕監督の監督初作品「アリーテ姫」は、地味ですけど、じっくりと内面を描いてく映画です。エルサが逃げきれずに捕まっちゃったアナ雪、とでも言いましょうか。
アリーテ姫 - ねこまくらで感想書いてます。
次の「マイマイ新子と千年の魔法」もやっぱり日常描写の表現力で日常の世界と非日常の世界を重層的に描いてみせる作品です。

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ちなみにこうの史代の原作は上中下3巻です。

この世界の片隅に : 上 (アクションコミックス)

この世界の片隅に : 上 (アクションコミックス)

この世界の片隅に 中 (アクションコミックス)
この世界の片隅に 下 (アクションコミックス)