- 作者: 宮内悠介
- 出版社/メーカー: 東京創元社
- 発売日: 2014/04/12
- メディア: 文庫
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四肢を失い、囲碁盤を感覚器とするようになった若き天才女流棋士の栄光、という揚句からサイバーパンクな小説を想像していたけれど、そういうのではなかった。「ここでゲームが終わり、人生が始まる」あるいは「人生が終わり、ゲームが始まる」というような、現実とゲームがギリギリせめぎ合う境界のような場所に迫ってい小説でした。ちなみに英題として載ってる"DARK BYOND THE WEIQI"の"WEIQI"は囲碁のことで、中国語の囲碁の発音を英語表記したもののようです。
本書は、ブッダの息子ラーフラの苦悩を描く第4作を除き、囲碁や将棋、麻雀など卓上遊戯のプロにインタビューするジャーナリストの視点で描かれています。異様な才能を発揮し、ゲームの枠に収まりきらなかった異能の天才の足跡をたどる形式で、巻末の解説で冲方丁が作者の卓抜な発明であると賞賛しています。確かにインタビューや証言から過去を再現していくルポルタージュの形式をとることで、エピソードが要約されて抽象と具象の鬩ぎ合いのテーマがくっきり浮かび上がる仕掛けになっています。
第1作の「盤上の夜」は、作者がインタビューで「春琴抄」を意識したと述べているが、確かに現代版春琴抄と言われるとしっくりくる。認識論的なSFで、ジャンルにこだわらない小説となっている。
第2作の「人間の王」はチェッカーの腐敗の王者マリオン・ティンズリーが題材となっている。ティンズリーは実在の人物で、検索すれば伝説級のエピソードが出てくる。そのティンズリーが人間の王として人工知能プログラム、シヌークと対戦し、土をつけられる。「シヌーク」はのちにチェッカーの完全解を発見する、すなわちチェッカーというゲームを殺すことになる。しかしこれは機械が人間に勝つかという話ではない。むしろゲームは殺せるのか、ゲームとは何か、という課題に切り込んでいる。
第3作「清められた卓」で雀士の思い切り泥臭い勝負に話を振った後、第4作「象を飛ばした王子」の哲学問答が来る。
第5作「千年の虚空」は将棋である。「ゲームを殺すゲーム」「量子歴史学」などの魅力的なガジェットが惜しげも無く投入され、破滅的な愛の物語が語られる。
そして第6作「原爆の局」は再び囲碁である。タイトルとなっているのは、1945年8月6日に広島郊外で打たれた本因坊戦の棋譜のことである。第1作の続きの形をとり、ゲームと現実、具象と抽象が鬩ぎ合うギリギリの均衡点にたどり着く。
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