ミッドサマー

スウェーデンの人里離れた村ホルガで90年に1度の夏至祭が行われる。村の出身者に誘われて、不慮の事故で家族を失ったダニーは恋人やその友人たちとその祭りに参加する。白夜の光の中で踊る住民たちは明るく友好的に見えた。けれどその儀式はすぐにその異様さを明らかにする。
賛否両論、というか、カルトホラーだ不快な駄作だ、という意見から爽快で癒されたとかハッピーエンドとかコメディだとか、見た人によっていうことが全然違うという異様な映画。とりあえず見てきた。巷ではコロナウィルスの感染拡大が噂される中、マイナーなカルト映画臭を漂わせたこの映画の客席は結構埋まってた。パンフはすでに売り切れてた。
どんな映画かと言えば、悪意をきれいに包んで悪趣味のリボンをかけたような映画。不気味な不安を煽るような映画かと思ってたけれど、見たらホラー映画の文法を敢えてずらされていく違和感が強い。どんどん明るくなってく画面に晒されるグロは記録映像のようでもあるし、エロチックなシーンは扇情的な演出を捨ててむしろ萎えさせる。曖昧であったり、影に隠れて見えないものがホラーの怖さの常道であるのに対して、ホラーの恐怖の源を明るく、乾いた、影のない白日の下に引き出して放り出す。
カルトの村に入り込んだ学生が悲惨な目に遭うというのはホラーの定番だけれど、ジャンルの定番からずらすことで挑発的になっている。超自然的なことは一切起こらない。超自然的な存在を匂わせるような含みもない。異様なタペストリーがその後の惨劇を暗示してたりするけれど、単に村人がその物語に従っているだけという、とても散文的な描写になっている。ルーンで預言書を書くルーベンという障害児が近親相姦で意図的に産まれた、というエピソードがあって、村人はそのルーベンの妄想?に従っているという見方もできるが、それだけで特にそこから話が展開していくわけではない。アッテストゥパンのシーンで衝撃を受けて騒ぎ出すイギリス人に取り乱すおばさんが、狂信的でありながら妙に普通なのも、ホラー映画の文法で解釈したい観客の思考回路を乱してる感じ。状況自体は恐ろしいし絶望的でもあるけれど、村人が恐ろしいわけではない。リーダー格の長老はいるけれど、何かカリスマがあるという風でもなく、ラスボス的描かれ方をするわけでもない。死生観はかけ離れているが、それ以外はごく普通なのだ。
村を訪れたアメリカ人の男たちは無神経だったり無責任だったり、どこかトゲのある描かれ方をしている。一方ホルガの村人は、泣いてる人と一緒に泣き出したり、共感をベースにしたコミュニティで、自然との調和とか言いながら、笑顔で平然と残虐行為をしている。これがダニーの再生の物語であるというように、ラストを詩的な美しい映像にしたのは、監督の悪意を感じる。男性優位のマチズモにも、リベラルやフェミニズムにも、揃って悪意を向けているという感じがした。
しかし、9日間の祝祭ということだったけど、映画のラストでまだ4日くらいしか経ってないよね。あの後まだ5日祭りが続くのか?