萩尾望都「一度きりの大泉の話」

一度きりの大泉の話

一度きりの大泉の話

萩尾望都が初めて語る、竹宮惠子と同じ下宿で暮らしていた大泉時代のこと。竹宮惠子の自伝中で触れられたことから、「大泉サロン」に関する取材があまりに増えたため、永久に封印するつもりだった事柄について、「大泉」に関する一切の取材・企画拒否の理由説明のために一度だけ語り、以後また封印する、というもの。自伝というか私小説のような感じで、ある種無防備なまでに心情を吐露しつつ客観性を保っていて、物凄いものを読んでしまったと読後呆然となった。何よりすごいのは竹宮惠子の自伝と内容的な齟齬の無いこと。もちろん双方双方書いていない事はあるのだが、両方読んで不思議と整合してしまう。決裂した二人の言い分は食い違ってて当たり前、真相は藪の中ということが多いと思うのだが、この二人の天才が意気投合し、決裂した経緯が、腑に落ちてしまうのだ。
ささやななえこ、佐藤史生山田ミネコ等々当時の少女マンガ家も多数登場して、大泉を中心に交流していた頃のこと、唐突な「解散」で戸惑っていたこと、当時の雰囲気が当事者たちから語られる。ファンの間で流れた噂なども出てくる。確か当時は、萩尾ファンと竹宮ファンの間に奇妙な反目があったように思う。それもこの「解散」の波紋だったのだなあ。岸裕子が、絵柄の変化を見て事情を察したという話も出てくる。「目が怒っていた」というと「ゴールデンライラック」を思い出すけれど、あれは78年だから少し後になる。その前から変わってたっけ。
萩尾望都は本書の中で、トーマも11月のギムナジウム少年愛ではないと書いている。当時はトーマもジルベールも「少年愛」で括られていたけれど、確かにその後のJUNE、やおい、BLの流れを作って行ったのは竹宮惠子だった。私も当時は分からなかったけれど、市川春子宝石の国」を読んで、ああこれだ、と思った。まさにこれは「なにか透明なものへ向かって(性もなく正体もわからない)投げ出される」愛(トーマの心臓)だと思った。萩尾望都のBLへの回答は、やはり「残酷な神が支配する」なのだろうか。
大泉関係以降の話としては、父母との和解についてが語られている。この件に関しては他のエッセイでも読んだ記憶がある。萩尾望都にとって母と娘の葛藤というのはずっと隠されたテーマで、作中では父と息子の葛藤と和解が繰り返し語られる。トーマの心臓しかり訪問者しかりメッシュしかり。母と娘の話がようやく書かれるのが「イグアナの娘」だった。
対照的に大島弓子は、「綿の国星」で母親を受容するまで、父と娘の話を描いていた。