かぐや姫の物語

かぐや姫の瞳がキレイでした。下ぶくれの女童がかわいかった。ヒロインにお歯黒させたのはびっくりした。月からの迎えの音楽が妙に陽気なのが面白かった。宇崎竜童の大納言とか、伊集院光の右大臣とか、中の人をモデルにキャラデザしたのかなあ。炭焼きも仲代達矢みたいな顔だった。
とにかく水彩画がそのまま動くアニメーションに圧倒された。水彩画の背景の中を、鉛筆(木炭?)のタッチをそのまま残した輪郭の人物が動く。背景も、ちゃんと枝とか葉とか揺れるんだよね。しかもほとんど気づかないくらいに自然に。「もののけ姫」の森の書き込みもすごかったけど、この違和感の全くない自然さはすごい。そして里山の四季を穏やかに見せるかと思えば、緋袴のシルエットが識別できるだけの殴り書きのような疾走、五人の公達がデッドヒートを演じるダイナミズム、と自在に動かしてみせる。日本アニメの頂点を見た気がした。
お話はまあ、竹取物語なんだけど、原作だとかぐや姫がなに考えてるのかよくわからない。それで高畑監督が「かぐや姫罪と罰」というフックを考えた。これは監督自身あちこちで言ってるけど、月の世界の天人にとって喜怒哀楽や感情を動かすこと自体が「罪」であると。で、かぐや姫は地球に憧れるという罪を犯して、その罰として地球に堕とされた。かぐや姫は憧れの地球に来たわけだけれど、記憶を消されてしまっていたのでそのことがわからない。自分のやりたいことがわからないまま追いつめられて、ついに何もかもがいやだと悲鳴をあげる。これが、「地球に憧れていた自分の罪を認めた」というサインになって、記憶が蘇ると同時に月からの迎えがくることも知る。御門にいきなり抱きすくめられたかぐや姫がかき消すようにいなくなって空気が一変するシーンが、なかなか怖い。田舎の暮らしも都の暮らしも、喜びも悲しみも、全て生きているという実感そのものであり、自分がまさに望んでいたことだったと気がつくんだけれど、そのときにはもう遅かった。
感情の動きが迷いで執着だ、というのは仏教的な発想のような気がする。仏教の悟りを批判するような説話が平安時代にあったとも思えないので、これは現代的な解釈ってことなんだろうなあ。
どうでもいいが、ハダカの幼女がでんぐり返ししたりするのは、海外公開とかで問題にならないのか。