日本人

日記に日本人と書くと、なんだか椅子取りゲームみたいなもめごとに自動的にリンクされてしまうのであった。こういう体験をなんと表現すればいいんだろう。ハイパーテキスト的体験なんだろうなあ。
「日本人」という言葉の中には、日本の社会との距離感覚が含まれている。まあ例えば温泉につかって「日本人に生まれてよかった」だとか、小学校唱歌とか口ずさんで日本人の心のふるさとだとか、そういうような使い方をするときを距離が非常に近い、ほとんど重なりあってるというふうに考える。
ってゆうか、そういう使われ方がけっこう多い気がする。あんましそういう日本的なナショナル・アイデンティティを意識してないときは、その時々で別の言葉を使うんじゃないかなあ。まあ「SARS患者と同じ飛行機に乗り合わせた日本人」とか海外で墜落した飛行機に日本人が乗ってたとか乗ってなかったとか、そんな使い方するときも同じ「日本人」という言葉だけれど。日本の社会に違和感を感じる、あるいは無限定の同一化を受け入れない、という視点に立って、たまたま日本列島に住んでるという意思を表明するためにはてなのキーワードいじって得るところがあるんだろうか。

話は飛んでしまうが、すでに定着してる言葉をPCというか、配慮によって言い替えをして見事に転換した例というと、ソープランドくらいしか思い付かない。もともとはトルコ風呂と言ってたのを、たしかトルコの青年の抗議だったか、新聞の投稿だったと思うんだけど、やめてくれって言われたのを受けてソープランドに改称したんだ。言葉狩りだとか批判されたとも聞かないし(俺が知らないだけかもしらんが)、きれいさっぱりとトルコ風呂は消えてソープランドになってしまった。
また全然別な例をもってくれば、「連れ合い」「同居人」「パートナー」といった表現がある。入籍してるかしてないかとか、「旦那」「女房」その他の表現のもつ歴史的社会的ニュアンスを免れたい、あるいは異議を表明したいといった意味を背負わされてる言葉なんだと思うんだが、結構普及してる言い方なんで、そんなに違和感なく受け入れられてるんじゃないだろうか。そういう感じで、なんかニュートラルっぽい言葉がほしいということなんかなあ。「日本居住者」とか。これだと非居住者は含まないけど。