6月5日の記事に対して正反対の反応が返って来ました。

痴漢の話と置換可能なのはレイプ、その他の性犯罪ぐらいじゃないかなあ。やっぱり性犯罪問題は特殊だと思う。

というわけで、被害者の落ち度を追及する場合にわざと犯罪者を煽った・こうなるとわかっていながらそうするようにしむけたという視点は、常にあるんじゃないのかな。 「うっかりミス」というのは、つまり「うっかり犯罪を誘発してしまうミス」のこと。割れた窓を放置するとか。 だから私から見れば、痴漢の話はすりの話で代替できる。

ナツ氏は一貫して性犯罪における加害者と被害者について述べています。「被害者が加害者を挑発した」という偏見に繰り返し抗議しているのは、つまりここがポイントだからです。「挑発した者」「挑発された者」という関係は相互的な、セクシャルな関係です。そんなものは存在しない、とナツ氏は主張しているわけです。奇しくも徳保氏も同じ「挑発」の語を使っていますが、セクシャルな意味は削られています。むしろ「挑発」などという単語の使用は避けた方がいいように思うんですが、敢えて挑発的に繰り返しています。ただ、セクシャルな論点には立ち入らないように抽象化、一般化の方向へ常に筆を向けています。だからスリや置き引き、泥棒、なんにでも代替可能でなければならない、ということになります。徳保氏が性犯罪特有の問題点というものを認めていないのかどうか、については言及がないのでよくわかりません。言及してないのは否定しているからだ、とか言うことも可能かもしれませんが、ここでは保留します。でもそこをスルーして一般論ばかりでは、ナツ氏は納得しないのではないでしょうか。
「落ち度を責める」というよりは、啓蒙活動に力を入れるとか、世間的にはそういう動き方をするのが穏当だと思いますが。時間順で並べれば、被害者に対する世間の圧力が存在するー>被害者の告発が世間に認知されるー>世間の圧力が加害者に向かうという流れがあるとしても、まず最初に世間の被害者に対する圧力がないと話がはじまらないということはないでしょう。加害者に比較的寛容だった世間が不寛容になってきたということでは、痴漢と万引きは似てるかもしれません。社会が寛容だった、被害を過小評価していた理由はそれぞれ別だと思いますが。