舞-HiME

ラス前にきて去年からの2クール組はみんな盛り上がってるけど、中でもファンチルと舞ヒメは「語りたい欲望」をモロに刺激してて、感想サイト回ってもけっこう長文が多かったりする。
舞ヒメの前回、シスターの心理攻撃はやっぱりエヴァンゲリオンTV版ラストを意識してるんだろうし、エヴァのとんがってた部分を丸めて話の中に落とし込んで「サンライズが作ればエヴァはこうなる!」というわかりやすい宣言だった。チルドレンとチャイルドとか、それっぽい仕掛けはいくつかあるけれど、このへんはむしろ意識させないようにしてある。チャイルドってのはやっぱり大切な人への想いが生んだ子供なんだろうな、それは肥大した自意識にもなるし、他者との関係性そのものにもなる。
エヴァが作品中で散りばめた謎に引きずられて制作側の意図と視聴者の興味が乖離した結果TV版ラストの強引さに非難が集中したことに対して、舞ヒメの方はあまり謎を作り込まず、うまく視聴者の興味と物語のベクトルを合わせている。このへんは終わってみたら全然違ってる危険はあるんだけれども、それぞれのキャラの他者との関係を、「大切な人」を曖昧にしたり柱を立てたりといろいろ気を引いて絶えず焦点にもってきている。
一番すごいのは静留の使い方だ。前半地味に目立たなかった脇役キャラをいきなり立たせてしまった。ヒメたちの大切な人への想いは多かれ少なかれ固着としての妄執があるけれど、それを最も極端な形で体現している。内面世界の外界への投影はまさにエヴァを嚆矢としたセカイ系の手法であるわけだけれど、主人公の内面が世界を規定するのではなく、妄執同士のぶつかりあいがチャイルド同士の戦闘として外化され、静留の暴走を通じて「乗り越えられるべきもの」として提示される。なつきの喪失と復活はその具体化であり、きたるべき舞衣の喪失と復活の伏線になっている(筈)。
遥と雪之の使い方もうまい。遥のキャラはずっと一貫してるんだけれど、周りがどんどん変化していくことで位置づけが変わっていく。雪之は、脅迫メールにおびえて舞衣を背後から狙ったりする小物っぷりを発揮していたけれど、遥からの信頼に応えて変わる。幼稚園時代からずっと遥に庇われていた雪之が、清姫を前にして遥を庇うシーンは彼女がこれまで囚われていたものを乗り越えた瞬間であり、遥にとっての名場面は雪之にとっての名場面でもあった。自意識の肥大化を乗り越えて他者と出会う場所に、責任という観念が立ち現れる。だからこそ、遥から雪之に託される腕章に重みがある。

なんだかアニメ完結の前に先走って書いてしまいましたが、こういうのは書きたいときに書いとかないと後悔するし。