ハウルの動く城

ネタバレあり、注意。
ようやく見てきた。劇場ロビーに人が溢れてて、「イノセンス」の時とは段違いだなあとか思った。評価は「大絶賛」、紅豚以降ずうっと不満が残ってたのがようやく解消された、まさにこれが見たかった状態。
最初「90歳の老婆にされる少女」を始めとして、いろんな変容シーンがキィになる映画とだけ聞いて「大島弓子?」とか思ったけれど、それを含めてこれまで宮崎駿がためこんできた要素を消化してまとめた集大成だった。
パンフには外見が老婆でも中身は18歳の少女、みたいな文章も載ってるんだけどそれってすごいミスリード(mislead)だよな。ソフィーはもともと心がおばあさんみたいだったから老婆になったんだ。それまで居心地悪そうにしていたのに比べて、老婆になったとたんに生き生きと動き出す。話が進むと、内面の感情に合わせて若くなったり年とったりと変容するんだけど、例えばハウル秘密の花園をプレゼントされたシーン。若く戻っていた顔が、「これまで美しかったことなんかない」の一言でたちまち老婆に戻ってしまう。
ソフィーに呪いをかけた荒地の魔女は対称的に魔法を解かれて年齢にふさわしい老婆の外見に戻ってしまうのだけれど、それと同時に中身も恍惚としてしまう。外見をコントロールできる魔法が吹き飛んでしまうと一気に退行して、わけもわからずただソフィーにしがみついたままハウルの城に転がり込む。それでもハウルの心臓にだけは反応して子供のように抱え込む。一方でサリマンの仕掛けたスパイの虫をカルシファーにくべたりとか、わかってる風なところもチラリと見えたり妙に生々しい老婆の描写になってる。映画の前半では悪の黒幕風で、一番のカタキ役かという感じだったんだけれど、階段で醜態を晒しながら意地になって上っていくシーンで一気に毒を抜かれて後半のカタキ役をサリマンに奪われてしまう。
ハウル木村拓哉の声優挑戦が話題だったり懸念されたりしてたけど、フタを開けてみたらむしろ一番はまってたくらい。弱虫、というより情けないというかヘタレというか、カッコつけたいけど根性はないという感じ。普段はカッコつけてるんだけれど、落ち込むとゼリーみたくなっちゃうし、怒りの衝動に捕われると鳥っぽくなっていく。
一番わかりにくいのがサリマンで、この人は一貫して顔が変わらない。これは強力な魔法、ということなんだけれど、それを支え続ける強い意思を示している。これだけ内面と外面が呼応して変貌していく世界で、一人なにも変わらないというのは当然意味をもっているんだろう。この人の行動で、荒地の魔女を「無害化」し、ハウルと戦うのは、コントロールできない魔法は危険だから対処したいということなんだろう。だから悪魔と契約して心を預けたハウルには危険人物として対抗し、ソフィーによって心を取り戻したハウルは危険でなくなったと判断して手を引いた。ただ最後に、戦争は終わらせようというセリフがあるので、ハウルのコントロールのために戦争を続けさせていたともとれる。王宮の守りのために周辺の都市が爆撃されてるというのもあったし、よく考えると一番ヒドイ奴なんじゃないだろうか。一番の悪役が「らしく」描かれずに品のいいおばあさんとして描かれるし、別にやっつけられたりもしない、映画の最初と最後でこの人はなんも変わってないだろうなという描かれ方をしてるんだけれど、映画のメインはハウルとソフィーで戦争だの王国の政治だのは背景にすぎないから映画の構成上うまくウェイトをおとしてるんだと思った。結果、ソフィーの感情の動きを一貫させて、それを軸に映画を構成してるんで、映画の盛り上がりとキャラクターの感情が一致して、客としてもうまく乗っかって楽しめた。ソフィーが心臓をハウルに戻すとこまでいっちゃえば話は終わりなんで、あとは勝手にハッピーエンドになっていくばかりで、いつもだと最後のクレジットが流れる後ろでエピローグをやるんだけれどもうその必要もないくらい。久しぶりに完全な映画を見た。
まあ、サリマンも強い意思を思わせる角張った顎の線とか、歴代の宮崎悪役キャラを彷彿させると言えば言えるんだけれども。
絵の方は、特に前半の街の様子。よく動かしたなあとしかいいようがない。いわゆる3DCGの最近のアニメとは違う手描きの味わいを守り通して、街角の群衆から動く城まで、画面上のあらゆるモノを動かしまくってます。CGで群衆を作り込んでたスターウォーズなんかゴチャゴチャして整理がつかずに見にくかったけど、これだけ画面に情報を書き込んでも意識させない、メインのキャラクターの芝居を全然邪魔しないというのは見事としか言いようがない。評判の階段シーンだけじゃなく、ハウル少年が流れ星に当たるシーンの幻想的な流星とか、火のキャラクターカルシファーの表現とか、とにかく見てるだけで楽しい動きも数えきれない。
街並はラピュタを思わせる中欧風。ハウルとソフィーが魔女の使い魔から逃げる空中散歩は「耳をすませば」「猫の恩返し」を思い出させる。ハウルの心の洞窟のイメージも、耳すまで導入されてたイラストを彷彿させた。空中機械はもちろんコナン、ナウシカから続く宮崎駿の十八番だし。かかしの一本足の動きとか、サリマンの使い魔の踊る小人とかは、「千と千尋の神隠し」ででてた歩く街灯とか、式神だなあ。これまでのいろんな要素を消化集大成させた宮崎アニメで、もうお腹いっぱい。
あとから考えて、話としてわかりにくかったのは帽子屋が爆撃された後かなあ。ソフィーが城の魔法を解いたり、また動かせと言ったり、なにがしたいんだお前はというあたり。城の魔法を解いたのは、通路を閉じるためだったんだけど、単にカルシファーに「閉じろ」と言うだけではダメだったんだろうか。うまく閉じられない理由の説明とかあってもよかったようには思う。
ソフィーの呪いがどうなったかは正面きっての説明はなかったけれど、まあ戻ったんだからどうでもいいじゃん。そもそもなんで呪われたかもよくわかんないんだし。魔法と科学が同居してる世界っていうと、なんか魔法を疑似科学化して体系化しちゃうのが多いんだけど、この映画はむしろ魔法について合理的な説明とか一貫性を排除していて、わたしはこっちの方が好みだ。まあカルシファーハウルの契約が解かれたんで、カルシファーがソフィーの呪いも解いたと考えることは可能だけど。それよりカルシファーの契約の中身がなんだったかの方が気になる。ハウルが心臓を預けたのはいいんだけれど、暖炉に封じられたカルシファーはなぜ契約を結んだのか、拒否できなかったのかなんらかのメリットがあったのか、その辺りは全く説明がなかった、と思う。