時をかける少女

狭い劇場だったんでなんか人が溢れてるように見えたけど、客の人数は実際にはそれほどでもない。なんか客層も偏ってるような。上映館増やしたらガラガラになってた気もする。
映画はキャラクターもプロットもオリジナルなんだけど、話の構造は原作と同じ。原作小説というより、原田知世時かけだな。美術監督の山本二三はジブリ映画でずっと美術やってる人で、I.G.とかのリアル系とはまた違った感触で密度の高い背景作ってるんだけど、レイアウトや演出がうまくはまってて、日常のなんでもない光景が忠実にアニメ化されることでドラマ化されていく。細田守ジブリって相性いいじゃんとか思った。ただタイムリープみたいなSF設定をお約束のように流して、いきなりそれをネタに遊びまくるノリの軽さはヲタク受けな気がしないでもない。
タイムリープの映像表現は「あり得ない」ことだけにイマジネーションの跳ばしドコロではあるんだけど、たいがい時計とか出しちゃう。機械式ウォッチの内部メカとか出すのも、まあ意外性はない。動きがスローモーションになって止まってしまう描写は大林版の踏襲なんだろうけれど、なんかマトリックスですよね。細田守お得意の回り込みで宙に浮かんだまま静止したノートを見せるのは、観客を引き込んで次につなげるうまい演出だと思ったけれど。そこから、ゴッホの絵みたいなイメージの奔流に巻き込まれてくシーンはかなり気に入った。
とにかく主人公が元気で考える前に突進するタイプなだけに、文字通り駆け巡りまくってた。状況を変えて何度か出てくる必死に疾走するシーンはよかったんだが……それにかぶさるあえぎ声はやたらエロかった。
同じ時間軸を何度も行ったり来たりする話だけに構成がきっちり練られて伏線が張られてる。ただ、千昭によって時間が戻された時、真琴の記憶がリセットされてなかったのはなぜ?その時だけ時間の止まった境界世界を経由したから、かもしれないけれどもしかしたらタイムリープ能力がチャージされた人間は記憶がリセットされないのかもしれない。そうでないと千昭が真琴のタイムリープに気がつけないんじゃないか。何度も時間が巻き戻された間、千昭の記憶もリセットされずに継続してたんじゃないか。ケータイでタイムリープの事を聞かれた真琴がわざとらしく妹の話を始めた時、わりとあっさり引き下がったのは前に何度もそれで逃げられたのを覚えてたからではないか。とか考えだすとどんどん千昭がかわいそうになってきます。まあそうだとすると、最後にグラウンドでクルミの実を見せられた千昭がなにも知らないのはおかしいわけだけど。
とりあえずツンデレのやりすぎには注意、ってことで。
そういえば逆ギレしてたいじめられっ子もフォローなかったな。