趣味のWebデザインからリンクされたせいか一杯人が来てる。せっかくだからなんか言わないといけないかなあと思ったけれど、痴漢の加害者でも被害者でもないし、スタンスがとりづらい。被害者の女性からの発言では、明らかに自分の外側からくる「気持ちの悪いもの」を攻撃すればいいわけだけれども、男性側の発言としては「明らかに自分の外側にある」という立場はとりづらい。では自分の内側にあるのか?内側にあるのは性欲である。痴漢が不愉快なものだというのは、赤の他人の性欲を押しつけられるのが気持ち悪いものだからだ。しかし、性欲自体は誰にでもあって、「あんな**のくせに性欲持ってるのは気持ち悪い」というのは、それは言いがかりである。「押しつける」と「持っている」というのは言葉にすれば明らかに別である。しかし、主観的な側面では、えてして区別が曖昧になったりもする。もっと言えば、誰だって赤の他人の性欲のことなんか普通気にしてない。それがいきなり押しつけられてくるのが痴漢なんだが、そういう話をされた男は今度は、男女誰にでもあるはずの性欲が、なにか気持ちの悪いものとして男にだけ押しつけられてきてるように思ったりする。「痴漢」が「論争」になるというのは、そういうことなんじゃないかと思う。
でも徳保氏周辺で続いてるのは、なんか寓意としての痴漢、という感じで、敢えてセクシャルな側面が落とされているみたい。
http://home.k01.itscom.net/resort/zzz-index.html
新たにBS氏も言及してるけれど、こちらもあくまで痴漢はもののたとえという感じ。いじめの問題とかでは、自分もある程度実感があるし、防犯意識の向上が犯罪を減少させるというような防犯一般論としてはその通りと思う。でもアドレナリンショックのナツ氏の議論とはかみあってないと思う。
http://www.pluto.dti.ne.jp/~momoneko/