KILL BILL vol.2

面白かった。vol.1と全然違う映画だったけど面白かった。つーか、チャプターごとに全部違う映画なんじゃね?あんまし面白かったんで、ネタばれがどうのとか気にしてぼかしたくない、ということで未見の人はネタばれ注意です。まあネタばれ読んで面白くなくなるような映画じゃないとは思うんだけれど。
1では、伝説の刀鍛冶に討ち入り用の刀をうたせるという段取りも含めて、日本の大衆文化から吸い上げた様式を取り入れた、和魂洋才ならぬ洋魂和才だったけど、2はマカロニウェスタンからゾンビ映画から、なんでもアリに磨きがかかってます。で、1が「アメリカ人の胸ぐら掴んでヤクザ映画やチャンバラのカッコよさを見せつける」映画なら、2はビル役のデビッド・キャラダインのために撮った映画です。最後に「そろそろいいか」って言って立ち上がって、黙って歩いていって倒れるデビッド・キャラダインのカッコよさを見せたいための映画です。だからダメな弟バドがナイトクラブでいじめられるエピソードとか、余分に思われても、次の不意打ちの前で観客を油断させると同時に、男の話に映画をスライドさせていく効果もあったりするわけです。ラブストーリーだ、っていうのはそうなんだけど、実はビルの片思いというか一方通行で、ブライドは娘のことしか考えてない。で、ビルはそれを受け入れて死んでいく。
KILL BILLは典型的な復讐モノなんだけれど、ひとつだけ大きく欠けてるとこがあります。だいたい平和な幸福を破壊された主人公が仇を討つのがパターンなわけですが、その肝心の「平和な幸福」をほとんど描かない。だいたい主要な人物はトドメをさされて死ぬ前にセリフなり会話があるんですが、教会で殺された花婿なんて死ぬ場面もないし。事件直前の教会の回想シーンでも、ユマ・サーマンはビルとばっかり喋ってる。最後のホテルの対決シーンで、幸福になれるつもりだったのかと聞かれてNOとなきわめくばかりに叫んでましたが、彼女にとってなにより重要なのは「自分が母親になる」ということだけだったんです。1の最初で、スクールバスで娘が帰って来るといきなり殺し合いを中断して友達のフリをしたり、2でも妊娠してることを納得させて殺し屋を追い返したり、母親であるということがいかに重要で侵すべからざるものであるかということを示すシーンはいくつもあります。この2部作は、娘を奪われた母親の狂乱であり、だから最後に、母と娘はジャングルに戻って平和が戻ったというクレジットがはいるわけです。