「確信犯」

http://d.hatena.ne.jp/hakuriku/20040114

また,この「罪悪感がない」に関連して,「『確信犯(誤用)』も,彼なりの自分勝手な屁理屈で自分の行為を正当であると確信している。したがって,その場合の『確信犯(誤用)』は誤用ではなく正しい用法である」という主張がなされることがある。

このような主張は,確信犯(原義)とは「要するに自らの行為を正しいと信じて犯罪を行う者のことだ」という理解に基づくと思われる。しかし,これは確信犯(原義)という単語の沿革からみて誤解である。
というのも,本来,確信犯(原義)とは,「自己の利欲を満たすことを目的とする通常の犯罪と異なり,例えば宗教的・政治的理由に基づく確信犯(原義)は崇高な動機に基づくのだから,軽く処罰すべきではないか」という文脈で使われる概念だからである。誰もが「崇高な動機」と認めるという意味で,「宗教的・政治的理由」という部分は動かすことができないのである。
すなわち,確信犯(原義)とは,「自らの行為を正しいと信じて犯罪を行う者」の「一例」ではあるが「イコール」ではないということである。

なるほど。良心的兵役拒否者とかに似た発想なのか。すると誰もが崇高な動機と認めるような宗教的政治的理由の崇高さが薄まっていったことも「確信犯」の誤用が広まった理由かもしれない。
「確信犯」(誤用)には、行為は正当化できないけど理屈はもっともだというのから、勝手なへ理屈で迷惑をまき散らすような人、さらに迷惑をかけることが目的の愉快犯も含まれる。広い意味あいを、「説得が通じない」というニュアンスでひとくくりにした言葉で、代わりになるような言葉はない。だからそれぞれの文脈で別の適切な言葉を使うより、多分この「確信犯」の誤用ですます方が定着していくんだと思う。