通夜は、棺の用意もなかったので段ボール箱に入れて、保冷剤を頭とお腹に置き、クーラーを強めにかけた。
会社を休んで庭に穴を掘って埋めた。土は柔らかいけれど、地中は縦横無尽に根が張り巡らされていて、それが堅いものだから、ノコギリで切りながらの作業となった。休み休み3時間は掘ったろう。熱中症になるかと思った。お世話になった病院の先生に電話したら、お花を贈ってくれた。
西友で買った仏花を供えてみたが、やはりお焼香もしたい。お水は美夜の水入れを置けばいいが、竿石とは言わなくてもなにか欲しい。
とりあえず位牌を造りに、深大寺動物霊園に行ってみる。
駐車場があるというので車で出かけたが、入り口がわからない。ナビに従って細い道に入っていったが、なにやら進入禁止の標識で行き止まりになっているように見えた。仕方なく植物園の駐車場に入れて、大回りでお寺の方に歩いていく。
歩いて動物霊園に行ってみると、結局ナビが正しかったことはわかった。たしかに駐車場もあった。でも、車で来るべきところではないとわかった。
霊園は、塔を中心に円形をしており、周りにぐるっと納骨棚が設けてある。受付に聞いて、位牌を申し込む。いろいろペット用の仏具も売っていたので、焼香用の小さな器も買った。
帰りにDIYの店でベルギーレンガを買って、台にする。お墓に据えたら、夕方だった。
ここ1年以上、美夜の介護がずっと気にかかっていたから、なにもすることがなくなるとぽかんとする。今年に入ってからはもう骨と皮ばかりだったので、覚悟はしていてショックはないけれど、家が急にがらんとしてしまうという定型句をまさに実感した。いつも一緒にいたのにもう居ない、という喪失感は、家の中の空気の唐突な変化と等価である。