美夜がいない家。
夜帰ってドアを開けると聞こえた啼き声がない。本を読んでいるといつのまにか足下にいて、お腹が空いたとせがむ啼き声がない。椅子に座った膝の上で咽を鳴らす声がない。いつも撫で擦っていた、あの手に馴染んだすべらかな毛並みがない。ふと視界の隅を横切る白い毛並みと、明るい茶色の尻尾がない。無心に見つめ返してくる大きな瞳がない。部屋の隅にあるルーターの上がお気に入りで、いつも器用に狭い足場の上で寝ていた美夜がいない。
だんだんと弱ってきてからは、いつも美夜のことを気にかけていた。朝起きるとまずご飯の減り方を見て、点滴をする。夜はご飯の準備をして、点滴をする。一日二回の点滴が、生活のリズムを作っていた。食べ方を見てご飯の量を加減し、次第にのむ量がふえていった薬を細かく砕いてご飯に混ぜ合わせ、こねて団子にする。食べていないなら、給餌器に入れて直接口の中に入れてやる。やることは段々と増えていった。
去年の秋頃から、トイレ以外で排便するようになった。便秘がちで、床に当たればガタンと音がする石のように固い便だから、床もほとんど汚れることもなく、ティッシュでつまんで捨てれば済む。特に手間がかかるということはない。それでも、あちらこちら物陰に落ちていないかと、いつも気にするようになった。ここひと月ほどは、トイレ以外でオシッコもするようになった。水のように薄い尿で、ほとんど匂いもない。それでも、掃除には手間がかかるし、知らずに踏めば煩わしいことになる。あちこちにペットシートを敷き、常に足下に気をつけながら歩くようになった。
それが全てなくなった。すっきりと片付いた床はよそよそしく、介護のあれこれがなくなってぽかんと空いた時間は頼りなげで落ち着かない。