ブルジョワジーの一族の娘だったアンリエットは幼い頃から知性を磨き、15歳で
ルイ15世の娘たちのレクトリス朗読係として宮廷に上がった。やがて
オーストリア皇女
マリー・アントワネットが
王太子妃として
ヴェルサイユにやってくると、年も好みも近かった二人は親しく会話するようになった、周囲にわからないように、イタリア語で会話することもあったという。結婚してカンパン夫人となったアンリエットはその後もアントワネット付きの首席侍女として、最後まで忠誠を捧げた。陰謀渦巻く宮廷の中で、王妃の腹心として常に控えつつ、危険な陰謀からは注意深く距離を取り、隙を見せることがなかった。王妃の処刑後、かろうじて革命の嵐の中を生き延びたアンリエットは、自分の受けた高等教育が身を守ってくれたという思いから、女子教育のための学院設立を思い立つ。学院の生徒の中に、ジョ
セフィーヌの娘オルタンスがいたことから、カンパン夫人のサン=ジェルマン学院はナポレオンの支援を受けることとなる。その後、ナポレオンの退位、王政復古、
百日天下と目まぐるしく政変が起きる中、カンパン夫人は学院を守り抜いた。
カンパン夫人の「回想録」は
ルイ15世時代後期から革命初期までの宮廷生活の詳細な手記であり、
マリー・アントワネットを身近に知る者だけがかけるエピソードの宝庫としても貴重な資料である。アントワネットの信頼厚い侍女として様々な物語に端役として登場する彼女の生涯は波乱に富んでいて、むしろ主役級の面白さ。同じく革命期を生き抜いた
フーシェとは正反対の生き方だけど、二君に仕えたというところは共通してる。
倉多江美「静粛に、天才只今勉強中!」 - ねこまくら