トレイシー・ウィルキンソン「バチカン・エクソシスト」

バチカン・エクソシスト (文春文庫)

バチカン・エクソシスト (文春文庫)

原題のイタリアで実際に行われている、法王公認の悪魔祓いーエクソシズムについて、いくつものインタビューをもとに構成したドキュメント。
悪霊を祓い、清める儀式は多くの宗教に共通してみられる。しかし、悪魔祓いの儀式を徹底して成文化、制度化している点でローマ・カトリック教会は群を抜いている。「ローマ典礼儀礼書」に書かれている悪魔憑きの見分け方、儀式の次第は、16世紀中頃に完成して以降ほとんど変わっていない。
19世紀以降合理主義、啓蒙主義の隆盛にしたがいカトリック教会も近代化を受け入れ、悪魔祓いは時代遅れの不快な儀式として忘れられていった。しかし、聖書に書かれ、キリスト自身がおこなったとされる悪魔祓いそのものを否定することはできない。悪魔の存在を疑うことは教義そのものを揺るがしかねない一方、儀式に依存して悪魔に責任を転嫁するという堕落の危険性も無視できない。信仰と近代化の要請のジレンマの中で、教会内部でも意見は分かれている。その結果、1999年に行われた典礼の改訂では、悪魔祓いを行うためには、専門の医師によって被術者が精神疾患などの患者ではないことが確認される必要があることを定めている。
しかし一方で、現代のイタリアでは悪魔祓いを望む人が増えているという、需要の拡大がある。教会が拒めば、代わりに占い師や魔術師が受け皿となる。キリスト教が強く根付いているイタリアならではの事情もあるだろうが、迷信との戦いのために心ならずも儀式を行う場合もある。いずれにせよ、映画のような本格的な儀式が執り行われるのは珍しく、普通の祈祷が行われることが多い。カルトや悪魔崇拝など、新たな迷信も生まれており、迷信への需要は一定数存在していて消えることはなさそうだ。精神科医など科学者からは強い批判が出ているのは当然だが、カトリック信者の医師の中にはエクソシストに理解を示す者もいる。
教皇ベネディクト十二世は、理性のない信仰も、信仰のない理性も、ともに危険であると語った。教会では正しい信仰と迷信との戦い、と考えているようだ。