ヤマシタトモコ「違国日記」

田汲朝は事故で両親を亡くした中学生の女の子、叔母の高代槇生のマンションに引き取られて、一緒に暮らすことになった。高代槇生は少女小説家で、人見知りな35歳。自信家で高圧的な姉が嫌いだった。年相応の素直な15歳と、孤独を愛する不器用な大人の共同生活が始まった。
「異国」ではなくて「違国」。人と人との間の距離感を示すニュアンスで使われている。ずっと家に閉じこもって一人で仕事していた槇生は、共同生活が苦手。ふっと槇生が自分の世界に入ってしまうと、朝は「槇生ちゃんは違う国に行ってしまった」と思う。人付き合いの苦手な槇生は、対等が基本。一方で、大人から対等に扱われた経験のない朝にとっては、槇生はヘンな人。そんな二人と、周囲の人たちの、穏やかに流れていく生活が心地よい。レディスコミック的なゆるい描線もゆったりした雰囲気に合ってる。
朝のどんぐり眼が可愛い。何事も興味津々で見入って、そのまま受け入れてしまうような大きく見開かれた瞳。対照的に槙生は鋭いキツネ目。二人の表情の対比だけでまず面白い。ちなみに朝の友人えみり、槙生の友人の奈々、そして朝の母であり槙生の姉であった実里、三人の目は下まつげに特徴がある。下まつ毛が対人能力の象徴なのかもしれない。
槙生は引き取った責任を感じつつも、他人と暮らすことへの違和感を拭えない。槙生は愛情ではなくルール、「対等で誠実であること」を指針として関係構築を図ろうとする。両親の庇護下にいて自分の環境に疑問を抱かず暮らしていた朝は突然の環境変化に戸惑う。ただ親子関係を擬似的に装おうとする親族とかよりは、自分を取り巻く環境の変化と新たな自分の立場が朝にとって明確に示されたと言える。
朝は母から、槙生は姉から、つまり同じ人物から呪いを受けた者同士でもある。呪いとは、言われた側のその後の意識や行動に影響し、束縛し続ける言葉である。その呪いが、二人の間を阻む壁ともなっている。常に正しさは自分とともにあると示し続けた実里の言動が、死後なお二人の意識の根底で生き続けている。