http://d.hatena.ne.jp/jouno/20030906
区画整理」というのは、階級社会化あるいは社会的クラスの固定化といった視点にたった用語なんでしょうか。あるいは、キーワードツリーの親子関係にかかるようなカテゴライズの欲望の作用を指しているのでしょうか。
それは宮台氏の原文にあったデプレッシブなものが区画整理を強制するように作用しているということなのでしょうか。

http://d.hatena.ne.jp/jouno/20030907
お詫び頂くにはおよびません。わたしも、同時に読んでいたテキストサイト系テキストサイトの話題といくぶん混同していたかもしれませんし。相対主義といっても、趣味嗜好から思想信条まで含める間口の広い言葉です。テキストサイトの小コミュニティを決定付ける抑圧機構というとなんのことやらピンときませんが、その話題からははなれます。
ご指摘はカビのはえ権威主義教条主義が戦略的に撤退して生き延びているというようなことでしょうか。アパルトヘイト、というと配分されるリソースの制限ーすなわち差別とセットになっていると思います。有限のリソースを取り合うときには、それなりの普遍性なり優位性を主張する必要があって、相対主義とはおさまりが悪いように思います。相対主義に由来する無関心が実質的に擁護しているという意味でしょうか。
個人レベルの問題としては、潜在する差別意識や対立点を顕在化させないために相対主義を標榜するのはアリだと思いますが、互いに許容しうる条件が厳しくなっていくのはおおいに違和感をおぼえます。それを知的退廃と呼ぶことには同意します。
本日コメント欄id:jouno氏へのコメント
テキストサイトの話題との混同は(あるとすれば)わたしの誤読です。対立点を顕在化させない選択の裏には、対立を克服することへの諦念、あるいは絶望があります。ただしそこには、普遍性への欲求を捨て去る知的退廃との姦通を許す弱さもあります。