涼宮ハルヒの消失

涼宮ハルヒの消失」新宿で見たけど、上映時間にはほぼ満員だった。
長門有希の可愛さはまさに神がかっていて、細かな表情から仕草の一つ一つまでが丁寧な描写で魅力的な表現になっている。それがまた切ないんだけれども。
原作の全てを盛り込んだ結果の3時間近い上映時間はむしろファンサービスとも言えるんだろう。一般映画としてはもっと編集しても成立したと思うけれども。
以下ネタバレ。
なにが切ないって、病院の屋上でキョンが「雪…」とつぶやいた時に一瞬見せた長門の表情だろう。
パンフレットによれば、武本監督は、本作を「キョンの決意と回帰の物語」と言っている。ただし日常へと回帰していくのではなく、普通の日常からファンタジーの中へと回帰していく。最後は日常へと回帰していくのが予定調和の王道で、実際ハルヒを日常へと引き戻したのが「憂鬱」のラストだったわけだが、逆に宇宙人未来人超能力者に囲まれたファンタジーの世界を選び直すのが「消失」である。奇しくも現在大ヒット上映中の「アバター」と同じ構造になっている。
キョンが自覚して選択する心理を描写する葛藤のシーンでは、窓ガラスに映った自分の影が内心を暴きたてるという演出がある。よくあるパターンではあるけれど、前を見据えるキョンの正面顔は観客席に向かって問い質しているように見えた。スクリーンに観客席を映したエヴァの旧劇場版とは真逆の方向性と思われたが、これは一体なにを煽っていたのだろう。
改変後の世界は喋るネコもいない普通の日常が淡々と続く世界で、だからハルヒも不機嫌そうに登場する。それがキョンの突飛な告白を聞くや目を輝かせて、いきなりハイテンションで走り出す。その落差で、改めてハルヒの魅力に気付かされる。その後ハルヒは持ち前の行動力を発揮して、あっという間にSOS団を結成してしまうわけで、こんな「日常」のどこに不満が、と言いたくもなろう。
図書館の記憶だけを残して自らの全てを消し去った長門の「エラー」をキョンは「感情」と呼ぶわけだけれど、その感情の中身にふれることはない。三年前の長門には理解できないからこそ「エラー」なんだし、エラーを修正しようとすることは当然なんだけれど、逆に言えば三年後の長門は、三年前の自分が再修正プログラムを用意したことを「知っている」。その上でなお、世界を改変せずにはいられなかった。入部届は記入されることもなく、エラーは修正される。何処にも行き場のないまま消されてしまったエラー=感情が、確かに存在したことを示す長門の表情が、堪らなく切ない。