シャイニング/ドクター・スリープ

新装版 シャイニング (下) (文春文庫)
キューブリックの映画で、双子の女の子が不気味だとか、扉の隙間から覗いてるジャック・ニコルソンの顔がイッちゃってるとか、そんな印象が強いが、原作の怖さは少し別のところにある。映画でジャック・ニコルソンが演じたジャック・トランスは、原作でも勿論ホテルの悪霊に取り憑かれるが、彼はアルコールの依存症で禁酒中なのだ。それが再び酒を手にして、依存症が進行していく過程の内面描写が、悪霊に取り憑かれて正気を失っていく過程とダブらせて描かれている。ここは実際著者のキング自身の、アルコール中毒だった経験を元に描かれていて、ものすごく生々しい。狂気に引き込まれていく怖さ、というのが体験できる。近作の「ドクター・スリープ」は「シャイニング」の続編だが、やはりアルコール中毒は重要な要素になっている。「シャイニング」はゴシックホラーの幽霊屋敷を現代に甦らせたモダンホラーの傑作であるが、アル中の父親のDVから生き残った母子の物語でもある。「ドクター・スリープ」は、生き残ったものの、矢張りアルコール中毒となってしまったかつての少年が、立ち直るまでの物語である。
キングの小説を支える描写について、全く別のところで類似した資質をもつ作家に思い当たった。
ゆうきまさみというマンガ家がインタビューで、(自分は)「隣の部屋に行くというような場面で、どうしても廊下を歩いてるとこを描いてしまう」と言っていた。普通はそんな文章では小学生の作文のようになるため、ドンドン省略してテンポを良くするのが基本だが、敢えて省略しないことでキャラクタの生活感、生きて存在している実感を感じさせる描写にしてしまう点が両者に共通している。
キングはホラー作家で、悪霊やモンスター等怖いモノの描写も得意だが、その真骨頂は怖がる心理描写にある。対象が幽霊であろうが殺人鬼であろうが、はたまたガンだとか、旧悪の露見だとか、或いは真っ暗な山道でも妄想でも、「怖がる心理」というのは共通している。その心理描写が、キングの手にかかると、本当に怖い。生活感のある、リアリティをもって描写された人物が居て、なぜそれを怖がるかという背景が語られるので説得力がある上に、迫真の筆致で心理描写が綴られる。怖い話を突き詰めて、そもそも恐怖とはなにか、という命題に突き当たった。キングの小説は人の感じる恐怖そのものを描いている。「ドクター・スリープ」も非日常的な脅威との対決がメインプロットとなっており、読者を引っ張っていく原動力となっているが、小説はその対決が決着した後に、アルコール中毒に関わる個人的な精神的危機の克服という形でクライマックスを迎える、
ドクター・スリープ 下
「ドクター・スリープ」の一つ前に発表した長編が「11/22/63」。
11/22/63 上

11/22/63 上

11/22/63 下
タイトルはケネディ暗殺の日付である。田舎の安食堂の物置にある「過去に通じる穴」を通って50年前のアメリカに行き、ケネディ暗殺を阻止する、という話。穴を通って行く先は常に同じ時間・同じ場所で、暗殺阻止のためには5年ほど過去のアメリカで暮らさないといけない。ただまずいことがあれば、一旦現代に戻れば、また最初からやり直しができる。何度も試行錯誤して、トラブルを要領よく回避する方途を探るあたりは、ゲームのようでもあり、「ループもの」の趣向でもある。ゼロデイまでの期間の物語は、ケネディ暗殺の謎を探るミステリでもあり、キングの迫真の筆力で、ケータイもなくGoogleもないけど、ガソリンは安くてどこかのんびりした過去の生活がたっぷりと堪能できるカントリー小説でもある。だが、本作は何よりも、過去の改変テーマに挑むSFであり、キング的な結末へと向かっていく。初期長編の一つ「デッドゾーン」は、予知能力によって知った未来の破局を回避するために孤独な戦いを続ける主人公を描いたが、それと対になる作品と言える。
デッド・ゾーン〈上〉 (新潮文庫)
デッド・ゾーン〈下〉 (新潮文庫)