GUNSLINGER GIRL -IL TEATRINO- #13 そしてピノッキオは人間に

最終回。結局ピノッキオの話として終わってしまった。
ピノッキオのためにクリスティアーノ救出に向かうフランカ、フランカのために付きあうフランコピノッキオはクリスティアーノのために戦い、クリスティアーノピノッキオのために逃げる。互いが互いの動機となり、自らの命を賭ける。フランカはもともと父親の復讐が動機であり、父親への愛情が行動の原動力となっている。彼女がピノッキオのために動くのは、テロを目的にしないため、動機の純粋さを取り戻すためであり、その純粋さのためにフランコは行動を共にする。
これまでのエピソードは彼らの間の絆に十分説得力を与えていたし、悲劇的な結末はドラマチックだった。それだけに、その後のシーンの、フラッテロの示すささやかな好意を貪る義体少女たちの子供っぽさが薄っぺらくみえてしまう。原作に対する悪意を感じるような演出でした。
ピノッキオはトリエラにとって初めての、自分と対等な存在でありかつ敵であるような存在、つまり他者であった。ピノッキオを倒したいという欲望はトリエラにとって、洗脳とも条件付けとも関係ない、唯一自分自身の感情だと信じられる本物であった。他者との出会いによって生まれたその感情は、ピノッキオを倒して成就されることで失われてしまう。だからトリエラは達成感よりも喪失感を味わうことになるんだが、アニメはそういう話にはなってなかったなあ。
ピノッキオは初めての暗殺現場で殺した目撃者の女の子のことをずっと引きずっていた。その女の子に向けて引き金を引いたときが、ピノッキオが殺人マシーンとなることを選択した瞬間であり、逆に言えば銃口の先の少女の顔はピノッキオにとってのもう一つの別の可能性の象徴ということになる。ピノッキオにはクリスティアーノのために働きたいという気持ちと、殺人への抵抗感との間に葛藤がある。だからピノッキオはトリエラに殺されることで、人間になったというのがサブタイトルの意味でしょう。
義体少女が狂言回しになって、憎悪が憎悪を呼ぶテロの応酬の殺伐さを際立たせる形になってましたけど、でもそれだけだったらそういうの他にもあるしなあ。どうも演出意図がずれてるシリーズだったような。