細谷雄一「歴史認識とは何か」

左右様々な立場の運動家が、それぞれ自分たちの目的のために歴史を利用することを優先して対立しあってたら「歴史認識の共有」なんてできるわけないよね。昨日の記事で紹介した井上達夫小林よしのり「ザ・議論」*1でも侵略戦争かアジアの解放か、戦争の大義はどこにあるか、といった論点で立場の違いが明示されてました。で、歴史認識ならまず歴史学でしょ、というわけで、本書はそもそも歴史認識の共有がいかに困難か、というところから始めて、日露戦争以降の近現代史の共有可能な土台を構築しようという試みです。
基本的な構図としては、日本が国際社会の潮流の変化を認識できず、その結果生まれた齟齬が不信感を産み、孤立主義へと傾斜していったという流れになっています。第一次大戦の戦禍に衝撃を受けたヨーロッパで生じた平和主義、人道主義と現実の利害との葛藤を偽善的な二枚舌と捉えたナイーブさが、国際感覚の欠如であり、ゲームのルールが変わりつつある中で従来のままの列強政治に参加しようとしたことで国際社会から孤立していくことになったというわけです。
まあ、今もまたゲームのルールが急速に変わりつつあるようだし、今読んで損のない本だと思う。