魔法少女リリカルなのはA’s まとめ

ほとんど全肯定のノリで毎回感想書いてましたけど、いろいろサイト回ってみると結構賛否両論に分かれてます。ドラマとしての葛藤がないからなんでしょうかねえ。A'sは完全にはやての物語なんですけれど、葛藤を演じられるのはフェイトだけなんです。ファーストシリーズはプレシアとなのはの間で揺れるフェイトの葛藤がドラマとなっていたし、A'sでも魔導書に呑込まれて見た夢の中で、なのはのいる現実を選ぶシーンが感動的だったのは、フェイトの心中の葛藤に感情移入できたからです。
はやては最終話で初めて感情を露にしますが、迷いというものがありません。みんな自分で引き受けて一人で背負おうとするんですね。それはなのはも同じで、おかげでなのはがタイトルロールなのに、なのはとはやての物語にならない。
A'sでフェイトの代わりに葛藤を演じるのは守護騎士たちだったはずで、クリスマスイブの戦闘シーンは主人はやてと自身の宿命=プログラムとの板挟みになった守護騎士たちの葛藤が描かれるシーンだったわけですけれど、それが仮面の戦士の乱入で有耶無耶になってしまいました。この仮面の戦士のエピソードはグレアム提督の葛藤なんですが、これが辻褄合わせでしかなくってドラマに絡んでこないんですね。普通だったら闇の書の暴走の脅威とはやての間で主人公が悩むところなんでしょうけど、それを全部提督が引き受けちゃってる。その結果なのはは戦闘民族とか言われるハメになっちゃうわけです。ただ肩すかしに終わる葛藤が傷とならずに、むしろファンがそれぞれキャラに思い入れする余地となったことが、リリカルなのはの魅力となったのだと思います。
それでもこれがなのはの物語として成立するのは、最終話があったからです。ファーストシリーズの第1話で、なのははすずかやアリサに、自分が将来なんになりたいかわからないという話をします。で、A'sの最後は進むべき道を決めた報告で終わります。つまり正続2クールは自分に出来ることをさがす少女の成長譚として完結するわけです。魔法少女ものとしてジャンルのパターンを踏まえつつ、お約束を破ってきたリリカルなのはですが、最後に魔導士を針路として選んで両親に報告するという展開はジャンルそのものを変えてしまったと言えるでしょう。魔法で壊れた街がそのままだったり、はやてが無断外泊してシャマルとシグナムが叱られたり、魔法もののお約束で閉じないように常に配慮していたんですね。先行作品との比較で言うと、ジャンルものの枠の中で魔女宅に挑戦したというところでしょうか。