村上春樹「騎士団長殺し」

騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編

騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編

騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編

騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編

村上春樹ファンが期待する「良いハルキ小説」みたいな、何だかとっても村上春樹「らしい」小説。人称も一人称に戻り、近作では目立たなくなっていた捻った比喩表現も散りばめられている。これまで個人的な喪失の物語から人間の集団としての組織、社会へと傾きかけていたテーマを、もう一度個人に引き戻したと思われる。影の人格っぽい「白いスバル・フォレスターの男」とかメタファーが散りばめられてるのはいつも通り。何しろ主人公は自分の求めるものを探してメタファーの国に行くのだ。自らメタファーだと名乗る「顔なが」とメタファーをネタに掛け合いもするし。
文体も村上春樹的なら、モチーフも村上春樹的で、色を免れた免色さんという人物はどうしたって「色彩を持たない多崎つくる」を連想するし、雑木林の中の穴は「ねじまき鳥クロニクル」の井戸を思わせるし、伊豆ケアセンターは「1Q84」とか、地底世界は「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」とか、まあ色々過去の作品を思い出させる。強固な壁と割れる卵ってのはエルサレムかどっかで講演した時の一節じゃなかったか。
そうして、とても村上春樹的な小説を読み終わって気がつくと、ハルキらしからぬ大団円に驚くのだ。突然いなくなった人もちゃんと帰ってくるし、しかも何でいなくなったのか説明がある。日常の世界から非日常の世界に旅をして、最後にまた日常の世界に戻ってくるという安定がある。これまでだと、日常に戻れなかったり、戻っても以前の日常とは違ってたりしたんだが。
ただし、残った謎もある。まず、プロローグがあるけどエピローグはない。そもそも「プロローグ」がプロローグじゃない。むしろエピローグだろ。少なくとも時系列的には一番最後にくるはず。ただ、このプロローグで、いつか無の肖像を描きたいと言ってるけれど、本編ではいつかまた「白いスバル・フォレスターの男」の肖像を描くと言っている。無の肖像の代価は大事な人を守るお守りである「ペンギンのストラップ」。作家が作品を発表していない期間は「無を制作している」と言うのだ、という表現があって、主人公は物語の最後に、家族の生活のために職人的な肖像画家となるわけだし、このプロローグは物語の最後のメタファーであるのかもしれない。
よくわからないのは、果たしてメタファーの国を通り抜けてくるのと秋川まりえの救出にはなんか関係があったのか、ということ。時間的な関係で言えば、まりえが危機にあって「イフクの護り」を必要としていたのはまだ誰もまりえの失踪に気づいてすらいなかった時間であり、彼女はその後自力で戻ってくる。騎士団長の殺害は雨田具彦のために必要で、地底世界での彷徨は主人公のために必要だった。そこにはイデアを媒介にした、芸術的創作に関わる承継があって、まりえはそのために足止めされてた、と言うことなんじゃないのか。