橋本治「失われた近代を求めて 1 言文一致体の誕生」

失われた近代を求めてI 言文一致体の誕生 (失われた近代を求めて 1)

失われた近代を求めてI 言文一致体の誕生 (失われた近代を求めて 1)

日本語の文章を書く、というのはどういうことか、ということで古事記太安万侶から始まります。万葉仮名ですね。一方で外国語である中国語を、無理矢理日本語として読み下すという漢文体がありました。外国語由来の漢文体が正式な文章で、日本語をそのまま書こうとする非公式な文章と、日本語の文章には二種類あったわけです。その二つが合わさった和漢混交体が徒然草で完成する。完成した後はそのバリエーション、ということで話は一気に明治に飛びます。ツルゲーネフ小説に感動して、日本語でこういうのがやりたい、と燃え上がった長谷川青年、筆名二葉亭四迷が書いた日本の新しい小説とはなんだったのか、という話になります。教科書とかだと、二葉亭四迷の「浮雲」が言文一致体のはじまり、ということになってますが、「浮雲」って今の人で読んだことあるってまずいないでしょう。実は作者が途中で投げ出して、完結しなかったんですけれども。その辺りの事情も含めた、それぞれの時代で新しい「文体」を作り出した人たちは、なにを求めていたのか、という視点から見た文学史です。
「だめだし日本語論」*1でも言文一致体の話は出てましたけど、そもそも橋本治は1982年発行の「蓮と刀」の中で二葉亭四迷の言文一致体について論じていたわけです。「蓮と刀」は日本社会のホモソーシャルな関係についての本なので坪内逍遥二葉亭四迷の関係みたいな話になってますけれど。「文語」と「口語」という分け方への違和感はずっと以前からあったわけです。
蓮と刀―どうして男は“男”をこわがるのか? (河出文庫)

蓮と刀―どうして男は“男”をこわがるのか? (河出文庫)