幸田真音「日本国債」

日本国債(上) (講談社文庫)

日本国債(上) (講談社文庫)

日本国債(下) (講談社文庫)

日本国債(下) (講談社文庫)

円債のトレーダー出身というだけあって細かい書き込みにリアリティがあるだけでなく、小説としても面白い。登場人物が職業人として前向きなのが好感できる。わりとリベラルなオプティミズム小説だけれど、ずる賢い陰謀家は自滅するとか、政治家の巨悪なんて頭が悪いだけだとか、悪役の造形に工夫があって、ありきたりの類型に陥らずにすんでる。外資系に勤めてる日本人女性だけでなく、日系企業のおじさんとか、生意気な あんちゃんとか、描写に説得力があって顔がうかんでくるような感じ。一番かっこいい、つまり一番ウソくさい人は最初から最後まで病院で死にかけてるんで、 美化してもウソくさくならないってのも巧い構成だと思う。最初と最後に出てくる刑事は、出番が少ないわりにおいしいとこだけでてきて、なんか贔屓されてる なあ。まあ設定の現実性がどれだけあるかってあたりはむずかしいところで、日本国債の市場が、その規模の巨大さに比べて参加者が非常に限られてることはたしか。ただ最後の仕手戦の仕掛けはちょっと腑に落ちないとこがあるよね。兜銀行は結局もともとあった含み損以上の損を出してないか?すっげー危ない橋を渡って、当然のように損ふくらましてるふうに見えるんだけど。いいのか? ちなみに国内の機関投資家国債をボイコットして金利が急騰したってのは、スウェーデンで実際にあったことです。
オプティミスティックだというのは、市場を信じてるからじゃなくって、市場参加者が賢いことを信じてるからね。作中に登場するチャットは、なんか 掲示板による疑似チャットのように見えるけれど、やはり匿名参加者のモラルを信頼することが物語の上で重要な要素になってる。
「市場」とはなにか、なぜ必要なのか、本作の中心テーマとも言えるんだけど、最後にその問い掛けに戻ってきて、直接答えられないままに終わってる。そもそも市場ってのは、資源再配分のための仕組みの一つなのね。
資源再配分のシステムとして、これまでいろんなものが考えられてきた。専門的な官僚組織が立案する計画にしたがって配分するというのもあるし、各利益集団を 代表する代議士が議会で議論して配分を決定するというのもある。それに対して、資源の配分を求める参加者が直接間接に市場に参加して競争するのが 市場を中心とする自由主義。それぞれ一長一短あるんだけど、市場を重視しなきゃっていう話が最近多いってのは、間違いを修正するスピードのことを考えてるんだ。 市場は他の方式に比べて明らかに間違いが多い。だけど、間違いに気付いたとき、その修正を行うスピードは一番早い。間違いが大きなほどその変化は ドラスティックだし、経済全体に与える影響も甚大だ。だからそのショックを緩和しなきゃって公共工事とか経済政策が考えられるようになったのが大恐慌以降の話。それが行き詰まるとまた振り子が戻ってくるとこが、歴史の面白さといいましょうか。
最後の日本の財政赤字について私見を。日本はとりあえず今んとこ経常黒字だから、日本が借金してる先も日本ってことになる。外国から借金してるわけではないので、最後は増税して国債の元利金を確保するか、元利金をあきらめるかわりに増税もやめるか、選ぶことができる。子孫に借金が残るというけれど、バランスシートを考えれば、借金に見合う財産もあるわけで、整備新幹線だとか廃虚みたいなテーマパークとかいろいろ資産も残せるわけだ。多分今の日本の人口の2割か3割くらいの人は子孫が背負う借金で食べてる筈だから、そういう人はやっぱ自分がなにを借りてなにを返すのか考えたがいいと思うぞ。