川上弘美「蛇を踏む」

蛇を踏む (文春文庫)

蛇を踏む (文春文庫)

芥川賞受賞作の「蛇を踏む」と「消える」「惜夜記」(あたらよき)の3作入ってます。少し不気味な感じのする幻想小説
「蛇を踏む」は、文字どおり蛇を踏む話。踏まれた蛇は、「踏まれたので仕方ありません」と言って五十がらみのおばさんになり、蛇を踏んだ娘の部屋に居ついてしまう。食事の用意をして、ビールとかぐいぐい飲んで、私はあなたのお母さんよ、とか言い出す。なんかちょっとつげ義春っぽい。
「好きが裏返って嫌いになってまた裏返って好きになってあと三回くらい裏返ってそれで少し嫌いなのよね。でもそういう嫌いの中に好きがまだらにまぶされているから、(中略)すごく気分が悪いんだわ。」というような腐れ縁的人間関係が幻想小説として描かれることで粘っこさが消えてサラサラとした蒸留酒になっている。
「消える」は、身内がよく消える家の話。最近上の兄が消えてしまったが、よくあることなので誰も驚かない。でも兄は婚約していたので、婚約者が親を連れて来たりすると、具合の悪いことになる。これはなんか、筒井康隆みたい。でも常識的な視点を軸にしてヘンなものを描けばギャグになるけれど、ヘンなものが日常になってる側に軸を置くと、ギャグにはならない。不条理な日常を淡々と受け入れている。真っ暗な部屋の隅と隅とで壁に向かって睦言を言い合う恋人とか、相当不気味だけど、起伏のない平易な文章で普通のことのように語られると、えも言われぬ不安感がある。文の脈絡もだんだんと曖昧になり、読者は麻痺したような曖昧な感情の中に取り残される。この曖昧な、溶けていくような読後感を味わいたくて読む。
「惜夜記」は思いっきり幻想的な19のスケッチで綴られた、日が暮れてから夜が明けるまでの話。「背中が痒いと思ったら、夜が少しばかり食い込んでいるのだった。」と言う文章で始まる。漱石夢十夜とかも思い出したけど、もっとなんと言うか、ポエチックでアブストラクト。そういえば吾妻ひでおのマンガで、夜が「よいしょ」と言って窓から上がり込んでくるのがあったっけ。吾妻ひでお筒井康隆を足して大島弓子で割るとこんな感じかなあ。
この作者が「センセイの鞄」みたいな恋愛小説を書くとは思いもしなかったけれど、大島弓子成分は元からあったんだよな。

センセイの鞄 (文春文庫)

センセイの鞄 (文春文庫)

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大島弓子成分を全開にすると、「これでよろしくて?」みたいなガールズトーク小説になる。

これでよろしくて? (中公文庫)

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SFに振ると、ちょっとハイペリオンみたいになったりする。

大きな鳥にさらわれないよう

大きな鳥にさらわれないよう

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今年の夏頃出た短編集は、「惜夜記」に近い掌編小説集。「このあたりの人たち」を題材にして、妙に馴染んでたり、穏やかだったり、懐かしかったりする。実体のない残り香とか、障子に映った影とか、何かの拍子に頭に浮かんだメロディの切れ端とか、本体が不確かで印象だけが残ってるような、そんな感覚を文章にした、ハードコアな川上弘美です。オシャレな装丁で厚さも手頃なハードカバーなので、カフェとかで読んだりするにも向いてます。

このあたりの人たち (Switch library)

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