小野不由美「白銀の墟 玄の月」

白銀の墟 玄の月 第三巻 十二国記 (新潮文庫)

白銀の墟 玄の月 第三巻 十二国記 (新潮文庫)

  • 作者:小野 不由美
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2019/11/09
  • メディア: 文庫
白銀の墟 玄の月 第四巻 十二国記 (新潮文庫)

白銀の墟 玄の月 第四巻 十二国記 (新潮文庫)

  • 作者:小野 不由美
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2019/11/09
  • メディア: 文庫

1991年、平成3年「魔性の子」から28年、ついに泰麒の物語が一つの区切りを迎えた。作者インタビューによれば、「魔性の子」執筆当時の構想ほぼそのまま書き終えたとの事である。実際、今「魔性の子」を読み返してもほぼ矛盾点が見当たらない。唯一気がついたのは最終盤、泰麒が全てを思い出したシーンで白汕子は「廉麟が遣わした人妖」と言ってるけど、それは最初の「神隠し」の時のことで、今回は鳴蝕の時点から着いてきてるから説明としては違和感がある。まあ矛盾ということはないか。しかし、十二国の設定を全部組み立てて、それでまず「魔性の子」から書き始める、というところがそもそもすごいと思う。
それにしても文庫本三巻と半分丸々かけて引っ張ったというか溜めに溜めたよねえ。四巻を中盤も過ぎて、これまで積み上げてきたものを一気に全てひっくり返してきたときにはどうなるかと思った。クライマックスから後は一気呵成で、見事な逆転劇は爽快。でも一番すごかったのは落盤で埋まった地下の坑道から自力で出てきちゃった驍宗だけど。ただ結局琅燦がどうなったのかはわからないままなのが後を引く。
阿選は琅燦に唆されたようなことを言っていて、実際妖魔を調達してきたのは琅燦だろうし、「天意を動かさない」ことで阿選の天下を維持するという理屈を理解できてるのは朝廷内で琅燦だけのように見える以上琅燦の策ではないかと思われる。まあ阿選が思いついたのを琅燦が支持した、という可能性もあるが、どうにも琅燦が黒幕くさく見える。一方で玄管として情報を反政府勢力に流し、耶利の主人として泰麒を支援し、戴を救い驍宗を王と戴きたいと言う。裏切り者のフリをして敵陣営内に潜入してるみたいでもある。どうも真意がよくわからない。琅燦が張運らを相手に説明してるのは、多分に泰麒支援のための詭弁っぽいけど、琅燦に天意を試す意図はあったように思う。「天意」の隙をついて世界の仕組みを試したかったというハッカー気質はあるんだろうけれど、戴全土を巻き添えにして単に実験したかったでは通らない。少なくとも李斎は納得しないだろう。それに対して泰麒は、王を選べるのは麒麟だけ、という仕組みを利用して謀る一方、「麒麟は慈悲の塊で血を厭う」とか「自身の主人である王以外には叩頭しない」とかいった天の理を、意志の力で乗り越えて天の秩序を復元させた。そう考えるとルールの隙を突こうとする琅燦と意志の力で乗り越えようとする泰麒、ルールを巡って好対照となっている。
麒麟は天意の具現化であるのだから、麒麟が天意を示せば他は疑いようが無い。十二国記の世界では「天意」とはすなわち正義であるのだけれど、それは個人が期待するような、諸事情を勘案し因果応報を保証するようなものではなくて、教条的に作用するルールのようなもの。というより、予め社会秩序がビルトインされた世界として十二国の世界が存在する。麒麟は本来そうした秩序と不可分の存在のはずだった。だが胎果である泰麒にとって、天意は必ずしも自明ではなかった。獣としての自分を自覚できず、転変することもできなかった経験が、泰麒に十二国システムとの距離感をもたらしている。
そこに、「角を失った」ことがどれほど影響しているのかはわからない。最後に転変して、角が再生したことが示されるが、どの時点で癒えたのかは不明である。驍宗の目と見合った時かもしれないが、琅燦の言う通り前から再生していたのを隠していたのかもしれない。実は気になる記述があって、2巻159p、言を左右して逃げる士遜を問い詰めた泰麒が不意に立ちくらみをして膝をつくのだが、これがなんだったのかは一切説明されていない。なにか再生の兆候らしきものを探すとこのくらいしか見当たらないのだが、その後関連するような描写は無い。
最後の顛末が漢文の書き下し文風になるのは恒例だけど、ラストシーンでは泰麒も驍宗も療養中だし、項梁、去思、園糸と脇キャラのエピソードで終わる。一巻のはじめに登場した人物たちに話が戻るわけだが、十二国記の他の長編は最後主要人物のエピソードで終わっていて読後感が随分と違う。
登場人物の多くが死んでいったけれど、死に際の描写が詳しかったのは飛燕と酆都、朽桟くらいか。どこでどう死んだのかもわからない、というのが戦場のリアリティではあるんだろうけれど。死に際はキャラの花道だ、といってたのは藤田和日郎だっけ。キャラクター小説とは違う作りになってるということか。むしろ個人を飲み込んで滔々と流れる歴史を描いたのか。「戦争と平和」みたいな。恒例の最後に載ってる漢文の書き下し文風な史書記述で、そこまでの小説の描写が全部削ぎ落とされて簡潔な文章になっちゃってるとか、逆に歴史の素っ気無い1文を展開していくとこれだけの長大な描写になるんだ、というダイナミズム、容赦無さがこの終盤であらためて強調された。

それで、柳はどうなったんだろう。戴の不思議な「病」と、柳の不可解な衰退と、なんか関わりがあるのかと思ってたんだけれど、別々の話なのかな。
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