テッド・チャン「息吹」

息吹

息吹

寡作で有名なテッド・チャン17年ぶりの第二短編集。自由意思と決定論、信仰と科学、生命倫理など、これまでも繰り返し語られてきた葛藤を、新たな技術や知見を組み込んで鮮新な物語とした。凝縮した、濃密な、今まさに読まれるべきSF。例えば、避けられない悲劇的な運命を知ったときにどう考えるのか、あるいは過去の悲劇的な経験とどう向き合っていくのか、これは前著「あなたの人生の物語」でも語られたテーマであり、本作品集の中でも、色々と形を変えて繰り返し語られる。本書中でも短い「息吹」「大いなる沈黙」では、滅びへと向かう自らの宿命を見据える、人間以外の知性による語りが鮮烈な印象を残す。最も短い「予期される未来」は、予め決まっている未来を覆そうとして果たせない自由意思という息の詰まるテーマを追求する。また、「不安は自由のめまい」では、過去の選択を悔やみ、あるいは正当化する人たちの、それぞれ多数の並行世界の「あり得た自分」達との会話から、自身の過去との向き合い方が描かれる。「偽りのない事実、偽りのない気持ち」では、現在に合わせて過去を書き換えられる口承文化と、デジタルなライフログを常に参照する「完全な記憶を持った」人格との対位が語られる。収録作中最も長い「ソフトウェア・オブジェクトのライフサイクル」では、任意に過去の状態に巻き戻されて、その間の経験が一切なかったことにされるAII人格が描かれる。
もちろん、それぞれの短編は、ただ一つのテーマを追求している作品ではない。「息吹」ではエントロピーを気圧差で表現する凝った仕掛けが何より魅力的なイメージを提供している。「ソフトウェア・オブジェクトのライフサイクル」で描かれる成長するAIの訓練と共生は、ある面ではペットの飼育に似て、ある面では子供の教育に似て、そしてある面では、どれとも似ていない。そして全ての作品が、豊かに詩的であり、面白いドラマであり、答えのない問いを投げかけている。
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