渡辺優「クラゲ・アイランドの夜明け」

舞台となるのは海上に浮かぶ7つの人工島からなるコロニー、「楽園」である。コロニー周辺に新種のクラゲが発生し、7色に光る美しい、巨大なクラゲが波力発電機のポンプに詰まったというニュースから始まり、すぐにそのクラゲに襲われて電力会社職員が2人死亡したというニュースが流れる。ミサキは第1コロニーに住む、クラゲが好きな女子大生(?「スクール」を卒業した学生らしい)。「楽園」にはクラゲ好きが多いが、ミサキは特にクラゲに思い入れが強く、新種クラゲを近くで見たい、手に入れたいと思う。ナツオはミサキの近所に住む同級生で、「楽園」移住以来の付き合い。
物語はミサキの語りで始まるので、彼女が主人公と思って読んでいくと、彼女は1章の終わりで唐突に死んでしまってびっくりするのだけれど、それは文庫裏表紙の紹介にも書かれていた公式ネタバレ範囲内だった。電書を不見転で読みだすとそういうこともある。
「楽園」は殺人、傷害、交通事故、違法薬物、違法労働、性犯罪、自殺者がゼロという「7つのゼロ」を誇っている。ミサキの死も事故死として公表されたけれど、堤防から身を投げた瞬間を目撃していたナツオには、自殺としか思えなかった。新種のクラゲに興奮していたミサキが、なぜいきなり自殺したのか、ナツオはミサキの行動のあとをたどり、最後の7日間を調べ始める。ミサキの死と新種のクラゲを巡るミステリでもあり、クラゲ小説である。
ミサキは、自身の欲望に忠実で、規範に囚われないという意味で自由であり、欲望に囚われているという意味で不自由である、過去の渡辺優の作品に描かれることの多かったような人物。「楽園」の理想主義を胡散臭く、窮屈に思っていた。
一方ナツオは、争いや他人との衝突を忌避し、感情を揺さぶられるようなことは苦手としていた。意見を持つことも、別の意見と戦うことになりそうで嫌だった。そんなナツオを、ミサキはクラゲのようだ、と言った。なんだかモラトリアムっぽいキャラだと思ったけれど、最近の若者の傾向としてよく聞くようになった特徴でもある。無感情に海を漂うクラゲはナツオの比喩でもあるが、この新種のクラゲは「七色に光る胃腔、人間ほどの大きさの傘、長い口腕、強い毒、死にかけるとポリプに戻るその不死性」を持ち、なんでも食べて増えていく、人間を滅ぼすために生まれたような最強のクラゲなのだ。
クラゲによる被害が拡大していく中で、クラゲ擁護派と殲滅派の主張が並行して語られるが、具体的な対応が描かれることはない。これはパニック小説ではない。擁護論も駆除論も論評に過ぎず、あくまで物語はミサキの死の謎を追って語られていく。
ナツオの調査に参加するのはあと2人。同じ「スクール」の同級生だったルナは、「楽園」の理想を信じ、自分の「正しさ」を信じ、間違いに異議を唱えることが自身の「正しさ」に対する責任だと思っている女の子。ミサキの自殺を「楽園」セントラルが隠蔽しているという疑惑を調査すべきだという思いから、ナツオと同行することになる。
もう一人、調査に参加したのはソウマというミサキの知り合いだった青年。彼は「楽園」設立当初から農家として参加して、人工島での大規模農業を実用化させた農業技術者。楽園の思想にはあまりこだわりは無い。
ナツオは2人の協力を得て、最終的に一つの事実に辿り着く。そして、苦手だった「大きな感情」を受け入れる。
昨今のポリコレや環境問題にセンシティブな風潮を背景として、風刺ということではないけれど、そうした「意識の高い」社会に漂う「無垢な理性」への無条件な信頼を嗅ぎ取って、疑義を呈している。自己肯定感の低いナツオにとって、正しさは常に他人の中にあった。正しさを体現した「楽園」の理想社会で、ナツオは大きな感情も大きな意見も持たずに漂うのはラクだった。しかし「楽園」もまた、間違いの多い人間の作った普通の社会であり、絶対の正解は存在しない。だから必死に考えて好きな間違いを選ぶしかないし、大きな感情も避けれない。
作者は人間を像作る欲望というものをポップな筆致で描き出してきたと思うのだけれど、これまでのような欲望に忠実なミサキは死に、欲望を漂白されたようなナツオを通して、改めて人間を描いている。

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