ジョーン・リンジー「ピクニック・アット・ハンギングロック」

日本では1986年劇場公開されてカルト的人気を得たピーター・ウィアー監督「ピクニック at ハンギングロック」の原作小説。本邦初訳、というので驚いた。原著は1967年刊なのでほぼ半世紀前の小説ということになるけれど、一映画ファンのリクエストが契機となったらしい。馬車とコルセットの時代が終わろうとしているオーストラリアの片田舎で、変わらず壮麗雄大な自然と、ゆっくりと崩壊していく美しい過去の物語。オーストラリアなので、夏冬が北半球と逆転していることに注意。3月は夏なんだ。
1900年、オーストラリアの奥地にある寄宿女学校アップルヤードの生徒たちはハンギングロックの麓にピクニックに出かけ、そして4人の少女と教師1人が消えた。何が起こったのか皆目不明なまま、不安が女学校を蝕んでゆき、周囲の人間も巻き込まれていく。
映画は森の中を彷徨う美少女の幻想的なイメージが評判になったけれど、小説はむしろ、謎の失踪事件を契機としてコミュニティが変質していく様を重層的に描いていく豊かな物語が魅力である。

門田充宏「風牙」

風牙 (創元日本SF叢書)

風牙 (創元日本SF叢書)

コニー・ウィリス「クロストーク」の訳者後書きで大森望が紹介してたので読んでみた。
コニー・ウィリス「クロストーク」 - ねこまくら
記憶データのレコーディングが可能になった世界の話。ただし眼に映るもの、体に感じるものをどう解釈するかは人によって違う。他人の感覚は理解できない。ただ記録しただけの記憶データは当人だけにしか意味をなさない。しかし、他人の感情、感覚にシンクロする過剰共感能力者は、他人の記憶データを解釈して、翻訳辞書を作ることができる。過剰共感能力によって当人の主観である記憶データを第三者視点で再構成して、誰でも理解できるように映像化する技術者がインタープリターであり、主人公の珊瑚は、トップレベルのインタープリターである。
記憶の中に潜行して、人の無意識が築き上げた謎を解いていく、精神分析SFとでも言うのか。ミステリとしての謎の引っ張り方もあざとさが無くて、気持ちよく読める。珊瑚の陽性なキャラと、トボけた関西弁がシリアスな内容をうまくコントロールして読み味をよくしている。他人の記憶を体験できる商用プラットフォーム、疑験都市「九龍」とか、ギミックも魅力的。
で、この過剰共感能力って、実在するみたいなんです。
9つの脳の不思議な物語

9つの脳の不思議な物語

他人にはない特別な能力や体験を引き起こす「奇妙な脳」について、イギリスのサイエンスライターが当人たちへのインタビューを元に書いた本です。これまでの人生のすべての日を記憶してる人や、自宅の中で迷子になってしまう人たちと共に、他人の痛みや触覚を自分の身体でも同時に感じる「ミラータッチ共感覚」の持ち主についても解説しています。本書によれば、誰でも脳の中に、他人の動作を見たときに、自分が同じ動作をしたときと同じように反応するミラーニューロンがあるそうです。通常は同時に、自分はその動作をしていない、という自分の身体からのフィードバックがあり、自分と他人との区別がつけられます。しかし、ミラーニューロンの反応が強く、自分の感覚と他人の感覚の区別がつけられないという人たちが紹介されています。本書でインタビューに答えた人物は、目の前の人物が唇を噛めば同じ場所がヒリヒリするし、膝に手を置けば自分の膝の上に手が載っているように感じると言っています。スマホで話してる人を見れば自分も頬に押し当てられたスマホの平べったさを感じるし、走っている女性を見れば揺れる髪を背中やうなじに感じるのです。それだけではなく、相手の表情や姿勢、無意識の小さな動きを感じることで、相手の感情、心の動きを感じることができるのだそうです。いわば究極のコールドリーディングですが、それはもうテレパスみたいなもんですよね。
それから、テニスのコーチの動きを見て自分の身体に感じた後、自分で動いてみると何が正しくてどこが間違ってるかがすぐわかるので、スポーツとか身体的なスキルの習得には便利な能力だそうです。
ただ、他人の感情に巻き込まれて不意なパニックに陥らないように、自分を落ち着かせるメソッドを色々準備したり、ホラー映画とか見て自分を慣らしたりしているそうです。

香月美夜・波野涼「本好きの下剋上」第三部

第二部と並行して第三部のコミカライズも始まりました。ようやくコミック版第一部が完結したけれど、このままのペースでコミカライズしていくと完結まで30年かかる、とのことでこういう企画になったそうです。でも第三部だけでも完結まで5年くらいはかかるよね、きっと。
作者が変わって絵柄も変わったことで、どうしても最初は違和感あるけれど、ちょうどマインもローゼマインになって身分も変わるし舞台も変わるし、読者にとっても馴染み易いタイミングではあると思う。第一部の丸っこい、庶民的なマインから、ちょっとスラリと垢抜けた感じのローゼマインに変わるのは話の展開上自然な変化だから。ただ、流石にコミックだけで追いかけるのは無理になりました。
神殿から貴族街へと移動することで出てくる多数の新キャラ、膨大な新設定を、原作エピソードを圧縮しつつもわかりやすく紹介してくれてます。派手な祝福の場面とかはやっぱり絵で見れるのは嬉しい。
原作者書き下ろしのSSはトゥーリ視点の「初めての手紙」、一家で同じ紙に書き込んで読めなくなったアレですね。
本好きの下剋上?司書になるためには手段を選んでいられません?第一部「本がないなら作ればいい!1」 本好きの下剋上(コミック)
本好きの下剋上?司書になるためには手段を選んでいられません?第一部「本がないなら作ればいい!2」 本好きの下剋上(コミック)
本好きの下剋上?司書になるためには手段を選んでいられません?第一部「本がないなら作ればいい!3」 本好きの下剋上(コミック)
本好きの下剋上?司書になるためには手段を選んでいられません?第一部「本がないなら作ればいい!4」 本好きの下剋上(コミック)
本好きの下剋上?司書になるためには手段を選んでいられません?第一部「本がないなら作ればいい!5」 本好きの下剋上(コミック)
本好きの下剋上?司書になるためには手段を選んでいられません?第一部「本がないなら作ればいい!6」
本好きの下剋上~司書になるためには手段を選んでいられません~第一部 「本がないなら作ればいい7」

香月美夜・鈴華「本好きの下剋上」 - ねこまくら6
香月美夜・鈴華「本好きの下剋上」 - ねこまくら5
香月美夜・鈴華「本好きの下剋上」 - ねこまくら4
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香月美夜「本好きの下剋上〜司書になるためには手段を選んでいられません〜」 - ねこまくら
香月美夜「本好きの下克上」 - ねこまくら第一部兵士の娘

大久保圭「アルテ」10

 

 16世紀ルネサンス期のイタリアで画家修行中のアルテを主人公にした中世お仕事マンガ。大物枢機卿からの依頼は、スペインから来訪した高貴な女性イレーネの肖像画と言いつつ実質的には客人の接待だった。アルテは画家として期待されているわけではないことを知りつつも、自分の力は作品で証明しようと依頼を受ける。イレーネにも気に入られて、アルテは順調に仕事を続けるが、しかしイレーネの心を動かす絵はなかなか描けない。

フィレンツェ枢機卿とスペインの貴族にとってアルテの肖像画はあくまで政治的な駆け引きの道具立の一つに過ぎないわけだが、その中にあって肖像画にこだわり続けるアルテは、画家としての自分自身の覚悟を問われることになる。

これもまた「マーベラス・ミセス・メイゼル」同様、男性社会の中に進出していく女性の物語ですね。

マーベラス・ミセス・メイゼル - ねこまくら

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アルテ 1巻
アルテ 2巻
アルテ 3巻
アルテ 4巻
アルテ 5 (ゼノンコミックス)
アルテ 6巻
アルテ 7 (ゼノンコミックス)
アルテ 8 (ゼノンコミックス)
アルテ 9 (ゼノンコミックス)

コニー・ウィリス「クロストーク」

 

簡単な脳外科手術によって恋人同士が互いの感情を直に伝えあえるようになる、EED処置が流行になってる近未来、主人公のブリディは恋人のトレントと一緒にEED処置を受ける。しかし、その結果とんでもない大混乱が起こってしまう。

コニー・ウィリスといえばコミュニケーションのすれ違いやら断絶やらにこだわり続けてる作家だけど、ここで満を辞してのテレパシーネタ。ハラハラドキドキで引っ張りまくるのもいつものことだけど、700ページ越えのロマコメです。読み出すと止まらないので注意。

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マーベラス・ミセス・メイゼル

The Marvelous Mrs. Maisel 

1950年代のアメリカを舞台に、子持ちの主婦がコメディエンヌを目指す、アマゾンオリジナルのコメディ。明るく前向きな主人公ミッジのキャラクターと彼女を取り巻く騒々しい家族や友人たち、軽快にテンポ良く展開するドラマ、戦後の輝いてた頃のアメリカ、NYのシックでファッショナブルな光景、と見所満載で、とにかく面白い。当時の流行歌もドンドン流れます。NASAでの黒人女性差別が描かれた「ドリーム」(Hidden Figures)が1961年で、それ以前の、バリバリな男性社会で女性が社会進出し、自分の行き方を考えるという話でもあるんだけれど、それをとにかく笑えるコメディに仕立てました。なにしろミッジは美人でハイソな奥様だけど、得意なギャグは下ネタだし。

ミッジはユダヤ人で、ユダヤ人社会の付き合いや行事なんかもいっぱい出てきます。兄嫁は元キリスト教徒で、ユダヤ教徒になろうと頑張ってなんだか空回りしてたりとか。

ミッジの才能に惚れ込んでマネージャーになるスージーはワーキングクラスの苦労人で、なにかと衝突してはケンカになる、いいコンビ。

ミッジはやり手のビジネスマンの奥さんで、アッパーウェストサイドの広いマンションに住んでます。金持ちなんです。子供が二人いて、夫婦の趣味がスタンダップコメディ、つまり酒場のステージで、マイク片手にマシンガントークでジョークを連発するアメリカ風の漫談です。旦那のジョールは下手の横好きで、仕事が終わるとコーヒーハウスのステージに立つ。ミッジは彼のためにステージの枠を取ってきたり、ネタのアドバイスをしたりしてる。でも彼女は自分たちの結婚式で花嫁なのに一人で喋り捲り、客をドッカンドッカン笑わせてた、という人で、実は彼女の方が才能あるんです。ジョールがスベって散々なステージになったある晩、ついに二人は大喧嘩してしまいます。ジョールは浮気相手の秘書のところに行ってしまい、いきなり捨てられたミッジは大ショック。ワインをがぶ飲みして、気がつけばジョールが通っていたコーヒーハウスに来てました。酔った勢いで勝手にステージに上がると、自分をネタにしたジョークを喋り出す。これが大ウケで止まらなくなり、ドンドン際どい下ネタへ。最後は警官がステージに乱入してきて逮捕されてしまいます。そういう時代だったんです。まあ、そんなわけで彼女の人生は一夜にして一変したわけです。

 現在シーズン2までアマゾンプライムで配信されてます。

 

橋本治「九十八歳になった私」

 

九十八歳になった私

九十八歳になった私

 

 橋本治さんがなくなりました。70歳でした。謹んで哀悼の意を表します。

「花咲く乙女たちのキンピラゴボウ」を読んでから、というよりぱふに載った倉多江美論「失われた水分を求めて」を読んで、まさにこれこそが世界を喝破した分析だとばかりに夢中になって、学園祭に講師としてお呼びしたりもしました。「桃尻娘」の単行本が出たくらいの頃でした。全然人が集まらなくって、数人でほとんど雑談みたいにお話をして、もう学生とは言え世間知らずもいいとこな失礼ばかりだったんですけれど、今思えば贅沢極まりない時間でした。以来、氏の文章を追いかけて、出た本は片っ端から買い、連載を追いかけて広告批評を買い、歌舞伎の専門誌のバックナンバーを探したりしてました。最近の新書とかまでは買ってないんですけれど。

ロジックとセンスと、それぞれ別の師を持つのが良い、というのも多分橋本治の言葉だったと思うんですけれど、私にとってまさしくロジックの師は橋本治さんでした。

「九十八歳になった私」はちょうど1年前に出た小説です。68歳だった著者が、30年後の自分を想定して書いた近未来小説、でもSFではありません。東京が震災で住めなくなって、日光の仮設住宅で避難生活してるけど、杉並木にはプテラノドンが巣を作ってて自衛隊が駆除に来たりしますけど。いつもの橋本治文体に、さらに著者のモノローグが被さり、話題があっちにいったりこっちにいったり、気がついたらループしてたりして、かと思うと突然蟹蟹蟹蟹とか書き出したり、リミッターを外した橋本治文体は老人の繰り言と区別がつかない、という感じ。橋本治のエッセンスを袋に詰め込んで、香りを楽しむポプリみたいな小説です。

最後のお仕事は何でしょうか。読売新聞の朝刊連載だった「黄金夜会」はまだ単行本になってないんですよね。wikipedia見たら著作リストは2013年までで止まってるな。

「シネマほらセット」橋本治/河出書房新社 - ねこまくら

橋本治「巡礼」 - ねこまくら

橋本治+橋爪大三郎「だめだし日本語論」 - ねこまくら

橋本治「失われた近代を求めて 1 言文一致体の誕生」 - ねこまくら

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結局「とめてくれるなおっかさん」は死ぬまでついて回りました。

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時代の終わりに人が死ぬ、という話。平成最後の年に橋本治自身も故人となった。自分がずっと知っていた名前の訃報が続くことの怖さって、やはり年をとると応えます。